音楽の力

beethoven_complete_backhaus.jpg帰省中、いわゆる音の缶詰による音楽はまったく聴いていない。以前ならレコードやCDがない生活は考えられなかったが、歳を重ねるにつれ、そして人とのコミュニケーションを密にとることを知るにつれ(笑)、電気的に処理された音(つまり音盤)を長時間聴き続けることに違和感を覚えるようになったこともあり、(音楽は「生」に限るということを実感したのであろう)あえて多くの音盤を持ち帰ることは必要なくなったのである。
今夜開催された「納涼謝恩コンサート」の練習のために昨日から愛知とし子が奏でるピアノの生音を聴きながら、父が「さすがにCDで聴く音とまったく違う」と感嘆しているのを聞くと、田舎でクラシック音楽のコンサートを聴く機会など滅多にない方々のために今日のような会を開き、音楽の生音を聴いていただいたことは大いに意義のあることであったと思う。それに近くでガヤガヤと騒いでいた子ども達が、まるで音に酔うように静かに聴いている姿を見ると、音楽の持つ「癒し」の力というものを覿面に感じることができ、たくさんの方々に生演奏を聴く機会を提供することが大きな役目だなと実感した。

そういえば、夏の田園生活が今日で5日目に入るが、夜遅くや早朝ともなると、蝉の鳴き声や鳥の声など、東京ではあまり意識していない自然の音が耳に飛び込んできて、それこそ生きた心地がするというのは大袈裟か・・・。
まぁ、ともかくエネルギーを目いっぱい充電し、来週からの慌しい東京生活に備えよう。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)

ベートーヴェンのソナタはバックハウス盤があれば他は要らないと常々思ってきた。彼の残した2種の全集は確かに20世紀を代表する名盤であることに違いはない。ただ、音楽評論家の誰もが太鼓判を押すレコードだけに、ひょっとするとその「情報」だけに左右され、若い頃から「そう信じて」聴いてきただけのことかもしれない。残念ながら、バックハウスの実演を聴いたことのない僕には、その演奏の良し悪しを本当にはかり、評価する能力はない。少なくとも、僕にとっては何度も実演を聴いたハイドシェックや先年ライブで聴いた内田光子、あるいはポリーニやツィマーマンなどのベートーヴェン演奏は好き嫌いは別にしてどれも最高だったし、それぞれが二つとない歴史に残るものだったと思うのである。ともかく実演を聴くこと。でないと作品の価値や演奏家の力量を見極め、判断ができない。

※余談だが、8月28日(木)に東京芸術劇場にて「宇宿允人の世界」が開催される。例によって「早わかりクラシック音楽講座」でツアーを組んで、生演奏を聴くという企画をたてているのだが、ご興味ある方はご一報ください。7月の講座でとりあげたショスタコーヴィチの第5交響曲がメイン・プログラムです。演奏の良し悪しにムラがある指揮者ですが、時に途轍もない名演奏をしてくれるので期待して参加してみるのもいいでしょう(笑)。

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