魔法の木管

2ヶ月ぶりに心身のトリートメントをしてきた。溜まった垢を削ぎ落とす心地よさと「魂」のいわば洗濯。東京という都会に住んでいると無意識のうちにいろいろなものを拾ってしまいいま一つ調子の上がらない日も多いからメンテナンスは必要不可欠である。
先日も書いたと思うが、「魂を調律する」音楽というものがある。ほとんどクラシック音楽に限られているというのがミソ。中でも筆頭はモーツァルトらしい。やはりというか、何というか。

ちょうど今完全映画化された「魔笛」が上映されている。このオペラの筋は第1幕と第2幕の善玉と悪玉が入れ替わり、支離滅裂な台本を持つということで解釈が厄介なのだが、僕が思うに決して「支離滅裂」ではなく、むしろ非常に意味深い筋書きを持つ人類史上屈指の名作といっても言い過ぎではない。果たして、ケネス・ブラナーという監督がどのようにメスを入れているのか見ものである。(まだ映画を見ていないので言及は避けておく)

その「魔笛」とほぼ同時期に書かれた晩年の傑作「クラリネット協奏曲」を聴こう。
色で表すなら、「限りなく透明に近い白さ」をもつ「調律」音楽。こんなに清純でしかも悟りの境地にまで入り込んでいる「純」な音楽は滅多にない。神の子モーツァルトが人生の最後になって書いた「一部の隙」も見当たらない「彼岸の音楽」。

モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調 K.622
デヴィッド・シフリン(クラリネット)
ジェラルド・シュヴァルツ指揮モストリー・モーツァルト管弦楽団

CDはどうやら廃盤のようだ・・・。

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2 COMMENTS

アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 東京に空が無いといふ

[…] ところで、本日はモーツァルトの220回目の忌日である。智恵子はもちろんモーツァルトも知っていたはずだ。彼女ならどの作品を好いたのだろう?K.595やクラリネット協奏曲という晩年の透き通るような音楽だろうか、やっぱり・・・。それとも、2つのト短調シンフォニー、あるいはK.516のような哀しみを湛えた短調作品か・・・。 僕は想像する。ここは今や遺作といわれるホルン協奏曲などではないのか、と。明朗でありながらどこか悲哀を示す旋律と、何より緩徐楽章をもたない未完であるところ(実際には紛失されたものなのだろうけれど)。 […]

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