ベアトリーチェ・ヴェネツィ指揮新日本フィル定期演奏会ルビー〈アフタヌーンコンサート・シリーズ〉第24回

イタリアの地を初めて訪れたブラームスは、旅行からペルチャハに戻った後、ウィーンのファーバー夫妻に宛てて「イタリアでは、まだ春が少年時代のように息づいています」と書き送ったそうだ。

確かに陽光の地イタリアには、感性を刺激し、肉体までをも元気にする力がある。そこにあるのは、極めて現実的な美であり、喜びである。そうしてまた、直接的な戦闘の血が騒ぐのも、イタリアの地の特長だろう。まるで喧嘩が絶えない。一方、同じラテン民族でもスペインの場合は少々違う。もっと楽天的でありながら、より一層過激なのである。そこには死という概念がはっきりとあり、それがまたどちらかというと血なま臭いにおいを発している。
血気盛んなラテンの魂は、海を渡って南米に至り、死すら享受する愉悦へと変貌した。

ベアトリーチェ・ヴェネツィの指揮を見た。
キビキビ動く明確な棒。直接的で直線的なエネルギーが世界を支配する。

ニーノ・ロータの、フェリーニ映画「道」からの組曲抜粋は、いかにもイタリア映画的肯定感に支配される推進力に溢れるもの。そこにはストラヴィンスキーのような「野蛮性」があり、また、(特に弦楽器群の)嫋やかで湿っぽいうねりがあった。中で、第6曲「涙する孤独なザンパノ」での独奏トランペットによるジェルソミーナのテーマは、冒頭少々瑕があったものの、概ね安定した朗々たる音色で素晴らしかった。

そして、吉野直子を独奏に擁した、アルベルト・ヒナステラのハープ協奏曲に、僕はむき出しの魂の発露を見た。ここには生と死の輪舞があり、例えば、第2楽章モルト・モデラートの、まるでベラ・バルトークのようなラメントに心震えた。そうして、終楽章へのブリッジとなる長いカデンツァは、ひと時の聖なる喜びのように聴こえた。ヒナステラの土俗性と神秘性、あるいは内在する暴力性はロック音楽に凝縮される要素だが、この協奏曲にも同様の性質を僕は見出だした。

新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
ルビー〈アフタヌーン コンサート・シリーズ〉第24回
2019年7月13日(土)14時開演
すみだトリフォニーホール
吉野直子(ハープ)
池田香織(メゾソプラノ)
崔文洙(コンサートマスター)
ベアトリーチェ・ヴェネツィ指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
・ロータ:組曲「道」より抜粋
・ヒナステラ:ハープ協奏曲作品25
~アンコール
・アルフォンス・アッセルマン:演奏会用練習曲「泉」作品44
休憩
・ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」
I. 序奏
(第1部)
II. 昼さがり
III. 粉屋の女房の踊り
IV. ぶどうの房
(第2部)
V. 隣人の踊り
VI. 粉屋の踊り
VII. 代官の踊り
VIII. フィナーレの踊り
~アンコール
・プッチーニ:歌劇「妖精ヴィッリ」より間奏曲

後半のマヌエル・ド・ファリャ「三角帽子」は、一貫して明朗で粒の立った音が会場を席巻した。セルゲイ・ディアギレフの委嘱により生み出されたこの作品は、ちょうど100年前、1919年7月22日にロンドンのアランブラ劇場で初演され、大成功を収めたが、本日の終演後の聴衆の歓喜の喝采も相当に熱いものだった(ただし、ヴェネツィの指揮そのものは直線的すぎる感があり、音楽も多少平板になることも否めず、もう少し官能性が欲しかったところ)。

序奏は棒を置いての両手での指揮。舞台上手後方にメゾソプラノの池田香織が位置し、物語の開始を歌うが、地に足の着いた声量たっぷりの歌唱にまずは痺れた。第1部に入るやヴェネツィは指揮棒を取り、正確なリズムを刻んでいくのだが、音楽はどの瞬間もスペイン的情緒に満ち、オーケストラの金管群の抜群の技術、もちろん木管群の柔らかい音など、色彩的な音響に溢れていた。特に、第2部は、オーケストラも指揮者も俄然興に乗り、ベートーヴェンの第5交響曲の有名なモチーフが奏されるや、池田香織が下手舞台裏から「粉屋の踊り(ファールカ)」を歌うシーンなど、実に濃密な音(フィナーレのホタも同様に最高)。

アンコールは珍しくもプッチーニのオペラ処女作「妖精ヴィッリ」から間奏曲。陽気なドンチャン騒ぎが聴衆の熱狂を喚起した。

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