ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読響第568回定期演奏会

オーケストラの最後部に陣取る11人のバンダの壮観さに期待が高まった。
ほぼ満員の聴衆の息飲む様子に緊張した。
そして、その礼儀正しい聴く姿勢に感動した。

まるで遠足前日の小学生のような気持ちで参戦したロジェストヴェンスキー指揮読響定期演奏会。元は今年初めに亡くなったスクロヴァチェフスキが棒を振る予定だったもの。
予定されていたアントン・ブルックナーの交響曲第5番を、おそらく対抗心を燃やしてなのだろうか、代役として登場したロジェストヴェンスキーは何と伝家の宝刀(笑)フランツ・シャルクが化粧を施したいわゆる改訂版を引っ提げて登場したのである。
一世一代。これを逃したら今度いつ聴けるかわからないという代物。
期待以上だった。
終楽章のバンダを伴っての仰々しい、圧倒的なコーダに僕は涙した。
師匠想いのシャルクが、師の音楽が聴衆に受け容れられんと望み、創造した交響曲に今宵の聴衆は酔った。酔って、酔って、酔いまくった。
何よりフライング・ブラヴォーのない、一瞬の静寂を挟んでの強力な拍手喝采がそのことを物語っていた。
おそらく1894年4月9日、グラーツにおいてシャルクの指揮により披露された初演の聴衆は同じく壮絶なる音楽に度肝を抜かれたのではなかろうか?
筆舌に尽くし難い感動、文句なしに今年一番のコンサートであろうと僕は思う。

読売日本交響楽団第568回定期演奏会
2017年5月19日(金)19時開演
東京芸術劇場コンサートホール
長原幸太(コンサートマスター)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読売日本交響楽団
・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調WAB105(フランツ・シャルク改訂版)

70数分に及ぶ官能のドラマ!!感動の舞台!!!
第1楽章から微動だにしないゆったりとしたテンポで音楽が進んで行った。
よくもあの速度で緊張感を保てたものだと感心するくらい。読響の弦楽器群の美しさ、また、管楽器群の乱れのない、少しもやかましくならない咆哮。痺れた。
なるほど、興味深いのは、第2楽章アダージョや終楽章に頻出した、(旋律を際立たせる)コンサートマスターによるヴァイオリン独奏の色香。間違いなくブルックナー的でないその音色は、いかにも後期ロマン派風の響きであるが、あのなよなよとした女性的な歌が、これでもかと言わんばかりに厚く塗りたくったオーケストレーションと見事に対比され、余計に素晴らしく思えた。

そういえば、第1楽章を終えた直後、老練の指揮者は指揮棒で譜面台を一叩し、やったぜとばかりに自信をのぞかせた。終楽章最後も同じく。いかにも人間味溢れるスコアによる、重戦車の如くの名演奏。完璧であったと思う。

この曲の初版は、1896年4月にウィーンのドブリンガー社から出された。しかし、ここにおいてはフィナーレが4箇所にわたって合計122小節におよぶ短縮を被っており、形式が著しく損なわれている。さらに管弦楽法の上でも全曲のほとんどすべての小節において変更が施されており、全楽章にわたって第3フルートが付加され、フィナーレではコントラファゴットが付け加えられ、さらに最後のコラール的楽段においてはトライアングルとシンバルも用いられている。これらの変更はフランツ・シャルクによるものであり、1894年の初演においても初版とかなり類似した変更やカットがなされたものと思われる。
作曲家別名曲解説ライブラリー⑤「ブルックナー」(音楽之友社)P74-75

シャルク改訂版に関しては巷間基本的にネガティブな評が多いけれど、(ブルックナーの真意はともあれ、それでも認知しているわけだから)これもひとつのヴァージョンとして認めても良いように僕は思う。大袈裟だけれど、やっぱり生きていて良かった。
今度はフェルディナント・レーヴェ改訂版による「ロマンティック」を聴きたい。(笑)

※追記(5/20)
なお、コンサートマスターによるヴァイオリンの独奏部は、ロジェストヴェンスキーのアイデアによるものらしい。ロシアものなどでも彼はそういう方法をしばしばとるのだとか。シャルク版を使用したクナッパーツブッシュ盤には見られないので、クナがあえて改変し、シャルクのスコアではそういう指示になっているものだとてっきり思い込んでいたので、勉強になった。

 

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8 COMMENTS

雅之

先日、指揮者でチェリストの鈴木秀美が新聞のインタビュー記事でいいこと言っていましたよね。

・・・・・・「ロマン派以降から古典派にさかのぼると、どうしても作品が古ぼけて見えて、当時の聴衆を打ちのめした『斬新さ』がわからなくなる。僕は古典派以前の時代からやってきたので、少なくとも、なじみの古典から『驚き』を発見する方法は提案できる」
 
「驚き」の象徴といえば、やっぱりハイドン。鈴木率いる古楽団体「オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)」の代名詞でもある作曲家で、端正なつくりのなかにも聴く者をクスリと笑わせ、空気を和ませる仕掛けが満載だ。ミスも含め、何が起きるかわからないライブこそ音楽の魂。ハイドンから継いだそんな精神を「リベラ(自由)」という言葉に託す。

「もっと羽目を外してがーんとやって」と言うと、日本の楽員は戸惑うという。「演奏する人が楽しくないと、聴く人も楽しくない。矛盾するようですが、規則をきっちり学ぶことが自由への道。規則は破るためにある。ハイドンは、作曲の大家である自分があえて『ご法度』をやることで、みんなが喜ぶということを知っていたんです」

18世紀以前のクラシックは、ジャズのセッションに近かった。楽譜に書かれていなくても、拍やリズムのお約束と「破調」を皆がライブで楽しんだ。落語に似ている、とも鈴木は感じる。「ロマン派の大曲に巨大な伽藍(がらん)を思い浮かべたりするのは、長屋の風景をみんなで共有しながら泣き笑いするのと似ている。日本にはクラシックを楽しめる土壌が十分にある」と。

「音楽のなかで起こっていることを、奏者や聴衆と一緒に味わいたい。ジョークが成立するには、仕掛け人と理解者の両方が必要。みんなにゲームに参加してほしい」・・・・・・『好奇心のまま、自由に 鈴木秀美、指揮に演奏に執筆 モダンも古楽も』 朝日新聞デジタル 2017年5月15日配信記事より

(個人的には、もうそろろそろ、ピリオド奏法の規則自体も破りまくってもいい時代だと思いますが)、ともあれ、シャルクやレーヴェによる改訂版だって、元ネタを熟知している現代の聴衆にとっては、実演でこそ、その意表をつく効果を最大限に発揮できるのでしょうね。

さらに、シャルクやレーヴェによる改訂版だって、アドリブでどんどん崩しつつ改変したって、ライブでは大いに許されるのではないでしょうか・・・、バロックナー(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

昨日は本当にぶっ飛びました。
いまだに身体の芯に残っているくらいで、シャルク版の威力もありますが、やっぱりロジェヴェンの巧さなんでしょうね。聴いていただきたかったです。

>シャルクやレーヴェによる改訂版だって、元ネタを熟知している現代の聴衆にとっては、実演でこそ、その意表をつく効果を最大限に発揮できるのでしょうね。

おっしゃるとおりです。原典を知っているがゆえの錯覚ともいえるかもしれません。

>シャルクやレーヴェによる改訂版だって、アドリブでどんどん崩しつつ改変したって、ライブでは大いに許されるのではないでしょうか・・

はい、追記しましたが、昨日のコンサートでは、第1ヴァイオリンのトゥッティの部分で時折コンマスがソロで抜け出すというシーンが散見されました。ロジェヴェンの指示だそうで。奏者のアドリブとまではいきませんが、なかなか粋な計らいであったと思います。

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雅之

>やっぱりロジェヴェンの巧さなんでしょうね。

そうでしたか! クナでも(たぶん)そうだったんでしょうが、たとえ、曲や楽譜が悪かろうと、大指揮者が力ずくで実演を名演奏化させるってことは確かにありますよね。

>昨日のコンサートでは、第1ヴァイオリンのトゥッティの部分で時折コンマスがソロで抜け出すというシーンが散見されました。ロジェヴェンの指示だそうで。

せっかくシャルク版でそこまでやったのであれば、私ならさらに、終楽章では、シンバル、トライアングルに加え、チューブラーベルや、パイプオルガン(せっかく東京芸術劇場で演奏することですし)までも重ねたくなります(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

>大指揮者が力ずくで実演を名演奏化させるってことは確かにあります

まさにそういう超絶名演奏でした!

>シンバル、トライアングルに加え、チューブラーベルや、パイプオルガン(せっかく東京芸術劇場で演奏することですし)までも重ねたくなります

なるほど!!それは名案!!さすがです。(笑)

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岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] 昨年のコンサートで最も衝撃的だったのは、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読響のブルックナー第5番。改竄版として長らく批判の矢面に立たされたフランツ・シャルクの改訂による問題の版は、実演においては(編曲者の想定通り)聴き応えのある、壮大なものであり、それを老練のロジェストヴェンスキーの棒が、指揮者独自のアレンジを加えながら悠久のテンポで表現するものだから、本当に時を忘れて没頭した、そんなひと時だった。 こうなっては、同じく悪名高いフェルディナント・レーヴェの改訂による第4番や第9番の生演奏に触れてみたいと思うのが世の常。 […]

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岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] ちなみに、僕は朝比奈御大が亡くなってからブルックナーの実演をほとんど聴いていない。 ブルックナーの音楽を封印したいと思ったわけではないのだけれど、幾度も耳にした御大のあの愚直でありながら崇高な音響が忘れられず、上書きしたくないという想いに駆られるから。振り返ってみると、朝比奈逝去の翌年、大阪フィル東京定期で若杉弘の棒により第3番を聴いた。また、何年か前、飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルで第5番も聴いた。それと、マレク・ヤノフスキ指揮N響による第5番をNHKホールで聴いたか。あ、エリアフ・インバル指揮東京都響で第6番も聴いていた。いずれにせよ17年間でその程度だ。いや、絶品を忘れていた。ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読響の第5番(泣く子も黙るシャ…あれは凄かった。 […]

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