夜の音楽。
空ろで、また仄暗い音調は、エロティックでもあり、同時に不安を煽る。
なるほど、官能と恐怖とは表裏一体なのかもしれぬ。言葉にならない言葉に魂が地を這う。
感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の徴候は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。なぜなら、収容所ではとにかくよく殴られたからだ。まるで理由にならないことで、あるいはまったく理由もなく。
~ヴィクトール・E・フランクル/池田香代子訳「夜と霧(新版)」(みすず書房)P37
理知的とはいえ、そこには嫌な計算はない。頭脳的なのだが、とても感覚的なのだ。まさに、思考と感情から切り離された感覚的音楽の宝庫。ベラ・バルトークの内面を赤裸々に見せる動的演奏。
弦楽四重唱曲第1番の敬虔なる音調が美しい。
被収容者が宗教への関心に目覚めると、それはのっけからきわめて深く、新入りの被収容者は、その宗教的感性のみずみずしさや深さに心うたれないではいられなかった。とりわけ感動したのは、居住棟の片隅で、あるいは作業を終え、ぐっしょりと水がしみこんだぼろをまとって、くたびれ、腹をすかせ、凍えながら、遠い現場から収容所へと送り返されるときに、閉め切られた家畜用貨車の闇のなかで経験する、ささやかな祈りや礼拝だった。
~同上書P55
たとえは悪いが、そこには現代の日本人が忘れてしまった信仰が確かにあるようだ。バルトークの内側にもおそらく歴然とその念はあったに違いない。
第3番の、単一楽章が織り成す小宇宙は、おそらくバルトークの最良の結果の一つであると僕は思う。歴史のすべてがここに凝縮されているのではないかと思わせる呼吸、緊張と弛緩の連続。闘いの本能あり、また安寧の本性が宿る。
(はがき前半のディッタの文章に続けて)
次はお父さんからペーテルに。
お父さんは、ペーテルが一日どんなことをしているか見たくて、電車にのってセーレーシュ・プスタまで行きたかったのですが、それはむりでした。それで、手紙にペーテルがよい子にしていますようにとメッセージを書いて、たくさんのキスもいっしょに送ります。
お父さんより
(1927年5月22日、ブダペスト)
~ペーテル・バルトーク著/村上泰裕訳「父・バルトーク―息子による大作曲家の思い出」(スタイルノート)P322
ほのぼのとした、愛あるメッセージにベラ・バルトークの本質を思う。
ちなみに、きっちり1ヶ月で書き上げられた第5番の切羽詰まった、迫真の音楽は、エマーソン弦楽四重奏団の本領発揮。切れ味鋭い第1楽章アレグロの劇性、また、深淵を覗き込む第2楽章アダージョ・モルトの憂い、さらに、(ブルガリア風にと指定された)鏡となる第3楽章スケルツォの躍動に魂が震える。嗚呼。