アルゲリッチ デュトワ指揮モントリオール響 ショパン協奏曲第1番&第2番(1998.10録音)を聴いて思ふ

粟津則雄さんの、マルタ・アルゲリッチ初来日リサイタルの印象が興味深い。

私はこのときはじめて彼女の生演奏に接したのだが、彼女は、どこかの島の野性的な少女が素足で浜辺にでも出て来たように、いかにも無造作に舞台に現れ、長く黒い髪で顔がかくれるほど深々と、だが不器用にお辞儀をし、ピアノに向かうやいなや、何の思い入れもなく直ぐに弾き始めた。演奏は、期待にたがわぬ見事なものであったが、演奏前のこのような姿も、私が思い描いていた彼女のイメージにぴったりであって、彼女が舞台に現れたときからすでに、音楽のなかに入り込んでしまっていることが、いかにもよくわかったのである。
(粟津則雄「極度の集中と解放が生み出す音楽の喜び」)
「ザ・ピアノ&ピアニスト」(読売新聞社)P25

そのずっと後、僕が初めて彼女の実演を聴いたそのときの印象もまったく同様だ。
マルタ・アルゲリッチは一切の衒いなく、純粋無垢で、ひたすらに音楽だけを希求する。生み出される音楽は、文字通り野性の少女のありのままの、赤裸々な告白のよう。

結婚間もないシャルル・デュトワとのエピソードが面白い。

二人の生活は、指揮者デュトワが思い描いたはずの平穏で牧歌的なものとまったく違う様相を呈していた。妻マルタが就寝する頃、中身がいっぱいの灰皿、空のグラス、ソファに転がっている人たち、という部屋の中央に、起き出してきた夫が立ちつくす。彼は週三回、オーケストラの練習からの帰りに、愛車のプジョー504のトランクに食料を買いこみ、それで妻の客たちを養う。買い出し仕事を逃れようと、妻にオートマチック車の運転を教えようとしたが、そんなおもちゃみたいな車と彼女が気を悪くしてしまい、二度とその話を持ち出させなかった。「そのせいで彼女はヴォー州のあの家に馴染めなかったんだ」とシャルル・デュトワは冗談を言う。「車がないと煙草屋は遠いからね」
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P190-191

真っ直ぐな野性女と共同生活をする困難さ。いくら愛しているとはいえ、デュトワの苦労もよくわかる。結局、二人はまもなく破局を迎える。

ショパン:
・ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
・ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1998.10録音)

果たしてこれは、元夫婦の久しぶりの協演でなかったか。
官能的情熱が映える協奏曲第2番ヘ短調の美しさ。ことに第2楽章ラルゲットは、アルゲリッチの本能とデュトワの本能がぶつかることなく、調和を体現する見事な演奏(基本的にデュトワはアルゲリッチを立てる)。

音楽は時間をとめる力を持っている。さらにマルタは別の次元の広がりを見せてくれる。一瞬の鋭利な意識のなかで、過去、現在、未来を薄めてみせる。みずから子どもでありつづけることで、自在に新しいものを発見し、前へ進み、同時にノスタルジーや感傷や虚心が強く出すぎないよう、悪い意味で子どもっぽくなりすぎないよう、所有欲にとらわれて行く手を阻まれないよう、身を守っている。
~同上書P292-293

何だかとてもよくわかる。特別なショパン。

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