モルゴーア・クァルテットのコンサートの雰囲気は、一般的なクラシック・コンサートのそれと明らかに様相を異にする。そもそも会場の空気感が違うのである。例えば、吉松隆の「アトム・ハート・クラブ・カルテット」が終わるや響いた、乾いた絶叫にも似た歓呼の声など他では聴いたことのないもの。終演後の荒井英治さんのMCに対する反応も、長年のファンであることが明白な堂に入ったもので、この場に初めて訪れた人は驚くのではないかというくらい「ツーカー」。それがまた何とも砕けた調子で面白いのだけれど。
久しぶりのモルゴーア・クァルテット。
彼らが結成後初めて音にしたショスタコーヴィチは第3番ヘ長調だったという。その記念すべき四重奏曲を軸に、他は現代邦人作曲家による、いずれも個性豊かな、ソビエト連邦の巨匠に負けぬ、超絶技巧を伴う音楽性豊かな作品たち。濃い2時間を堪能した。
モルゴーア・クァルテット結成25周年記念コンサートVol.2
2018年1月29日(月)19時開演
東京文化会館小ホール
・林光:弦楽四重奏曲《レゲンデ》(1990年完成版)
・池辺晋一郎:ストラータXII-弦楽四重奏のために(2017)(委嘱作品・世界初演)
休憩
・ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番ヘ長調作品73(1946)
・吉松隆:アトム・ハーツ・クラブ・カルテット作品70(1997)
~アンコール
・キース・エマーソン:アフター・オール・オブ・ディス
モルゴーア・クァルテット
荒井英治(第1ヴァイオリン)
戸澤哲夫(第2ヴァイオリン)
小野富士(ヴィオラ)
藤森亮一(チェロ)
モルゴーア・クァルテットは、数年前より一層進化・深化しているように思った。
林光の「レゲンデ」の、現代音楽の方法によりながら、いかにも耳ざわりの良い、その上ショスタコーヴィチの作品にも決して引けを取らない濃密な調べに僕は思わず唸った。もちろんそれには、モルゴーア・クァルテットの4人の緊密なアンサンブルがものを言っていたことは確か。終演後の荒井さんの口調でも明らかだが、何より作曲家へのただならぬ尊敬と愛。目に見えない力が今夜の演奏には間違いなく働いていた。
次の池辺晋一郎の新作の「激しさ」はほとんどロック音楽の狂気に準じているようだった。まさに作曲家自身が「プログレを弾くモルゴーアのイメージを払拭できなかった」という、文字通り全身全霊の命を懸けた音楽が4人の奏者によって鳴らされたその様は圧巻。演奏終了後舞台に呼び込まれた池辺さんの「満足で」紅潮した顔がとても印象的だった。
20分の休憩をはさみ、十八番のショスタコーヴィチ。
終戦直後のこの名作が、皮肉的であるにせよ明朗に、また、戦争の犠牲者を悼むように暗澹と対比的に奏でられる様子がとても素晴らしかった。終楽章モデラート―アダージョ最後の、微かに消えゆく音のあまりの美しさに僕は息を飲んだ。
続く吉松隆の「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット」では、四重奏団は身体を縦に横に揺らしながら、まるで踊るように音楽を奏した。プログレとビートルズが入り混じる吉松作品の、ジャジーかつロックな響きにひれ伏したいくらい。
ところで、荒井さんのMCによるとアンコールのキース・エマーソンの「アフター・オール・オブ・ディス」は、もとは管弦楽作品で、亡くなる直前まで弦楽四重奏版への編曲を気にかけていた作品だという。いかにもキースの作曲だとわかる旋律の明瞭な美しい曲だった。
弦楽四重奏曲は奇蹟の音楽だとあらためて思った。
4つの同族の楽器が織り成す、単色でありながら深みのある音色には恐るべきパワーがある。
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