ティボーデ デュトワ指揮モントリオール響 ダンディ フランス山人の歌による交響曲(1989.10.5録音)ほかを聴いて思ふ

世はワーグナー主義全盛(その是非が世界を二分した)。
音楽界に限らず、文化、文明の中でリヒャルト・ワーグナーの思想があちこち跋扈する時代であった。あまりの妄想であったにせよ、あの巨大で堅固な世界観に翻弄、否、影響を受けない人などいまい。反ワーグナー主義といえど、「反」と付くならそれは影響下にある証だ。

私たちの公演は、ひたすら大きな課題の擒になり、全身全霊をあげてその解決に取り組む精神の発露であったが、一つの芸術集団がこれほどまでにそうした精神の権化と化した例は過去にもないであろう。第1回の公演を観に来た観客は多分に他人の失敗を見て喜ぶような物見高さを持ち合わせていたが、完全な成功に寄せる期待を時折り不安や心配にかき曇らされてしまった私たちにしてみれば、成功の喜びだけがそうした気苦労の償いになり得たのである。私たちは一様にこうした感情に鼓舞されていたわけだが、私は—彼の同僚たちもこの喜びを分かちあってくれると思うので—一座に熱気を吹き込んでくれた主として、とりわけアルベルト・ニーマンの名をここで挙げておきたい。万一彼の共演を期待できないということにでもなれば、全員が意気阻喪したであろうと思われる。
「1876年の舞台祝祭劇を振り返って」(1878)(三光長治訳)
三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P104-105

バイロイト祝祭劇場の杮落しでの「指環」公演の、ワーグナーによる回顧の論は、すべての出演者や舞台関係者への謝辞で溢れている。観客の中には批判派も多く、また大幅な赤字にも陥り、決して成功といえない結末になったそうだが、少なくともワーグナーのペンから発せられる熱気といい、内燃する力といい、瞠目に価する。

最後の8月18日はヴァーグナー論だが、〈僕自身の罪(=準備不足)で完全に理解できない〉と率直に謝罪。〈無数の音楽美〉〈とほうもない才能〉は認めたが〈オペラの本質にかんする彼の正しさ〉を疑い、〈大きな疲労感〉をえたが、〈この複雑きわまりない音芸術の研究を続けたい〉とまとめた。そしてウィーンから〈《神々の黄昏》の最後の和音が消えたときの解放された喜び〉〈死ぬほど退屈〉(モデストに—1876年8月20日)と懐古している。
伊藤恵子著「作曲家◎人と作品シリーズ チャイコフスキー」(音楽之友社)P80

当時の音楽界を代表する多くの作曲家たちが「指環」を鑑賞しており、例えば、チャイコフスキーは、ワーグナー鑑賞は概ね苦行だったと回想するも、一方で、圧倒されている様がうかがえる。

ちなみに、パリ音楽院に学び、セザール・フランクの門下となったヴァンサン・ダンディは、研究者肌の作曲家兼教育者だが、当時25歳の彼もまた1876年のバイロイト音楽祭の観客の一人だった。当然彼は師であるフランクやワーグナーの影響を受けた。

・フランク:交響曲ニ短調(1989.5.25録音)
・ダンディ:フランス山人の歌による交響曲作品25(セヴァンヌ交響曲)(1989.10.5録音)
ジョン=イヴ・ティボーデ(ピアノ)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

デュトワの指揮するセザール・フランクの素晴らしさ。全曲に統一性をもたらす循環形式の妙。これほどパッションに富んだ、人間的で温かい、そして本来ならば暗澹たる表情を醸す音楽が明朗で快活な印象を放つのだから表現力に感心する。
より美しいのは、若きティボーデのピアノ独奏を伴うヴァンサン・ダンディ。

何よりその主題の歌謡的音調に心奪われる。これは、1886年夏、フランス中部山岳地方セヴェンヌの山々を望む土地ペリエで作曲家が耳にした牧歌に基づき着想されたものだが、師フランクの場合と同じく循環形式によって書かれている点が興味深い。それに、協奏的性格を前面に押し出す瞬間あれば、ピアノが管弦楽の一部として機能する瞬間もあり、多彩な曲調が聴く者の感性を刺激し、聴いていて飽きないところがまた素敵。緩やかな第2楽章に対して、活気ある第3楽章のエネルギーの発露が堂に入る。

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