
僕はアルフレート・ブレンデルの優秀な聴き手ではなかったし、今でもない。
しかしながら、「主題と変奏」と題される、30年前の録音は、たまに聴きたくなる音盤だ。情感に溺れない分、音楽は輝く。そこには強い意志があるだけだ。
モーツァルトの「デュポールの主題による9つの変奏曲」。愛らしい主題から晩年の作曲家の悲哀は感じられず、もちろん愉悦的というよりは無機質な音調。ブレンデルの奏でる音楽は無情だ。ただし、それは決して機械的だということではない。逆にいうなら、モーツァルトの音楽が、無垢な精神がただ鳴り響くのである。だからこそ、時に思い出したように耳が欲しがるのだと思う。
また、タイトルとは裏腹に、清澄で親しみやすいメンデルスゾーンの「厳格な変奏曲」は、ボンのベートーヴェン記念像建立資金捻出のために書かれたものだが、特に最難関といわれる第17変奏の神業、そして、コーダになって弾ける激情の表出が心地良い。
そして、リストによるバッハのカンタータ第12番とミサ曲ロ短調に基づく「泣き、嘆き、憂い、おののき」による変奏曲は、リストの信仰心そのものを見事に映した、浪漫の権化。ここには、ブレンデルの思念がこもる。
白眉は弦楽六重奏曲作品18第2楽章アンダンテの、ブラームス自身によるピアノ編曲版!!
愛するクララ・シューマンの41回目の誕生日(1860年9月13日)に贈った変奏曲の主題の哀感!同時に、テンポ良く流れる各変奏のひらめきと高揚感は筆舌に尽くし難い。
愛するヨハネス
なんと素晴らしい驚きだったでしょう。なんと美しい作品でしょう! ニ短調の変奏曲がやっと弾けて私はどんなに喜んでいることか。また、シラーについてのご本を送ってくださって読むのが楽しみです。すべてに心からのお礼を申し上げます。
でもどこから始めましょうか。すべてのものを簡単に明確に黒白にわけることは、なんとむずかしいのでしょう。私のように表現能力が貧しくて、言葉はつねに私の感動にくらべると弱すぎる者には、感動というものは多方面なのに、言葉は一方的でしょう! もしご一緒に座っていて、これは好き、これは嫌い、と音符をひとつひとつ示しえたら、どんなに気持ちがよいでしょうに。
(1860年9月16日付、クロイツナッハのクララよりブラームスへ)
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P108
知性が先行し、言葉に長けるヨハネスに対し、クララがあくまで感覚派であることがわかる。クララの演奏は、きっともっと感情に訴えかける音調で、聴く者の魂をより一層揺さぶるものだったのかもしれない。もしそれならば、ブレンデルの表現は、ブラームスの理想に近いものだ。