ウゴルスキ スクリャービン ピアノ・ソナタ第5番ほか(2007-09録音)

とにかく一度実演に触れたいと思っていたのだけれど、結局叶わなかった。
アナトール・ウゴルスキの驚異的な表現に、初めて聴いたとき僕は感激した。
奇を衒ったような音楽作りは、イーヴォ・ポゴレリッチのそれとはまた違ったもので、とにかくその深遠な音に僕は痺れた。晩年はもはや技術的にも綻びを見せ、聴いていられないような演奏に落胆したとはどこかで読んで知ってはいたものの、ウラディーミル・ホロヴィッツの「ひびの入った骨董」ならぬ実演であったとしてもその音を何とか聴いてみたかった。
アナトール・ウゴルスキ、2023年9月5日没。享年80。ピアニストとしてはまだまだ若い。

娘のディーナ・ウゴルスカヤの演奏についても同様。
積極的に情報を採らず、情報に疎い僕はディーナのことをつい数年前まで知らなかった。
初めて彼女の弾くベートーヴェンの作品111を聴いて、僕は父親のアナトールに優るとも劣らぬその造形にとても感動した。もし実演に触れる機会を得ることができたなら何としても聴きたいと思っていたが、その彼女も数年前若くして病死したことを知った(2019年9月17日没。享年46)。
何とも無念。
諸行無常。人の命とは実に儚い。

久しぶりにアナトール・ウゴルスキの弾くスクリャービンのソナタを聴いた。
量子物理学の世界を髣髴とさせるスクリャービンの、進化といえるのか退化なのか、強靭なソナタの大いなる発展を刻印したその演奏に僕は舌を巻いた。

世界は0と1で成立している。
同時に点から線、線から面、面から立体、さらに立体から世界の歴史へという目に見えない動きから、さらに歴史がいわば面と化すパラレル・ワールドへの変遷こそ、スクリャービンが目覚めた神智学の微分たる神秘主義的音楽の発露の種子でなかったか。

アレクサンドル・スクリャービン:ピアノ・ソナタ全集
・ソナタ第1番ヘ短調作品6(1892)
・ソナタ第4番嬰ヘ長調作品30(1903)
・ソナタ第6番作品62(1911-12)
・ソナタ第9番作品68「黒ミサ」(1912-13)
・ソナタ第10番作品70(1913)
・ソナタ第2番嬰ト短調作品19「幻想ソナタ」(1892-97)
・ソナタ第5番作品53(1907)
・ソナタ第7番作品64「白ミサ」(1911)
・ソナタ第8番作品66(1912-13)
・ソナタ第3番嬰ヘ短調作品23(1897-98)
アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)(2007.11; 2008.10; 2009.5&7録音)

初期スクリャービンの退廃美。「幻想ソナタ」と呼ばれる第2番嬰ト短調のあまりの美しさ。ここには未だ暗い詩情があり、人の心を心から揺さぶる愛がる。ウゴルスキの繊細なピアノがひっそりと火を噴く。何と鋭利な刃物の如くの有機的な響きに心が動く。

音楽における不協和の程度は、19世紀末以来しだいに高まってきていた。19世紀末には、リストが《調性のないバガテル》を書き、サティが《星たちの息子》で6個の音からなる薔薇十字の和音を書いた。シュトラウスはもちろん《サロメ》で不協和音をどんどん使った。バッハの対位法技術に精通していた作曲家マックス・レーガーは、1904年、無調に近づかんとする音楽で、シェーンベルクのようなスキャンダルを引き起こした。ロシアでは、神智学的心霊主義の影響下にあった作曲家・ピアニストのアレクサンドル・スクリャービンが、6音による「神秘和音」の周りで振動する和声語法を考案した。未完の大作《ミステリウム》はヒマラヤの麓で初演が予定され、まさしく宇宙の崩壊をもたらすことになっていた。そこには男と女が、性的差異やその他の身体的制約から解き放たれて、霊的な人間としてふたたび登場してくる。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽1」(みすず書房)P60-61

後期スクリャービンのまるでジャズかと思わせるような自在の音楽は実験精神に溢れる。
しかし、特に単一楽章で創造された作品群には、それこそ陰陽を統べる一体となった愛と死が刻印される(まさに宇宙生成の原理であり、源の音化といっても良いだろう)。
世界が不協和音の獲得に傾いて行った頃の作品には、迷いどころか作曲者の確信があるように思われる。むしろ一層個性に傾いた「神智主義」作品より素晴らしいと僕は思う。

わずか1週間ほどで作曲されたソナタ第5番の漆黒が愛おしい。

過去記事(2015年11月19日)
過去記事(2015年9月18日)

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