ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管のムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ(1872版)」を聴いて思ふ

時間、空間とも全方位を向く人間を天才だとするなら、音楽家ではモデスト・ムソルグスキーこそ最右翼の一人であると僕は思う。彼は過去にも通じ、未来にも通ずることのできた超人だ。

名作「ボリス・ゴドゥノフ」の現在的官能、あるいは歴史的知性。古の謡と、未来の、当時の誰もが思いもよらなかった音響が掛け合わされての奇蹟。幾度も改訂され、そして、未来の巨匠たちにあらたな編曲(改訂作業)を託された、それは、未完成でありながら完璧な作品として、現代の僕たちの眼前に聳える傑作だ。

《ボリス・ゴドゥノフ》に関する、ムソルグスキーがウラジーミル・スタッソフに宛てた手紙の、何と意味深いことよ。

音楽を伴うとこの味気ないしろ物もすばらしく聴こえるので、さっき名をあげた音楽家の面々は、この御馳走に心ゆくまであやかろうと休みなしに耳をそばだてるのです。
(1871年8月10日)
アッティラ・チャンバイ/ティートマル・ホラント編「名作オペラブックス24 ボリス・ゴドゥノフ」(音楽之友社)P240-241

自身の音楽の凄みを訴えかける様。

わたしの頭脳を完璧無比に見事に鋤き返し、脳髄を刺激してつねに有益な改良へと駆り立てる人よ。まあお聞き下さい。もし今日建築家のハルトマンの家であなたに会えなかった時のことをかんがえて、これをしたためています。
(1871年9月11日土曜日)
~同上書P241

おそらくムソルグスキーは、少なくともあの時代において、独りきりで作品を生み出すには早過ぎる人だったのだと思う。彼には、片腕となる知力が必要だった。

つまり《ボリス》が上演プランから外されることになりかねません。お願いします。わたしへのあなたの愛のお力で。
(1874年1月28日)
~同上書P243

革新的な作品は、いつの時代も憂き目に遭い兼ねないものだ。「ボリス・ゴドゥノフ」の、歴史的傑作として今に聴き継がれてきたことの幸運を思う。ムソルグスキーは「ボリス」の真意を次のように語る。

ですから《ボリス》は明らかに、人間の正体をその全き悲惨さのうちにあばき、自らを知るために出現したにちがいありません。キュイの論説は何と悪意に満ちているのでしょう。女性に対して何と子供じみた皮肉を浴びせるのでしょう。そして作曲家が〈自己満足〉していることに対し、何と思い上がった攻撃をするのでしょう。この種の低能な馬鹿者は、謙虚さとか尊大でないということがどんなことか理解していないにちがいありません。
(1874年2月6日)
~同上書P244

罪を憎んで人を憎まず。やはり源は性善説。

・ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」(1872年版)
ウラジーミル・ヴァニーエフ(ボリス・ゴドゥノフ、バス)
オリガ・トリフォノワ(皇女クセーニャ、ソプラノ)
ズラータ・ブリチェワ(皇子フョードル、メゾソプラノ)
ウラジーミル・ガルーシン(グリゴーリ、テノール)
ニコライ・オホトニコフ(ピーメン、バス)
コンスターンチン・プルージュニコフ(シューイスキイ公、テノール)
ワシリー・ゲレロ(シュチェルカロフ、バリトン)
フョードル・クズネソフ(ヴァルラーム、バス)
ニコライ・ガシエフ(ミサイール、テノール)
オリガ・ボロディナ(マリーナ・ムニーシェク、メゾソプラノ)
エフゲニー・ニキーチン(ランゴーニ、バス)
リューボフ・ソコロワ(旅籠の女将、メゾソプラノ)
エフゲニー・アキモフ(白痴を装う苦行僧、テノール)
エフゲーニャ・グロコフスカヤ(乳母、アルト)、ほか
ワレリー・ゲルギエフ指揮サンクト・ペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団(1997.11録音)

あの頃の、ゲルギエフの音楽の色香、というか熱量は、今とは随分異なり、有機的。どの瞬間も慈愛に溢れ、聴く者をムソルグスキーの唯一無二の崇高な世界へと誘ってくれる。歴史を題材にしつつ、フィクションの織り交ぜられた台本の素晴らしさ、何より推敲された音楽の大いなる力!

各個人および群衆のもっとも内奥にひそむ本性を探求すること。この領域への洞察。どこで見出だしたものであれ、美しいものをことごとくとり出すこと。これが芸術家の使命です。
(1872年10月18日)
~同上書P211

リヒャルト・ワーグナーが「宗教と芸術」で展開した論とほぼ近似の思想がムソルグスキーにもあったようだ。彼もまた、真の宗教、真の信仰を求めて彷徨ったのだと思う。

クレムリン宮殿でのボリス。

さてこれより一同、ロシヤ歴代の
統治者の御陵に礼拝致そう、
その後で—全人民を酒宴に招くのじゃ、
貴人より盲の乞食に至るまで、すべてをじゃ。
何びとも出入自由、何びとも
よき賓客じゃ。
プーシキン作/佐々木彰訳「ボリス・ゴドゥノフ」(岩波文庫)P18-19

果たしてこれは純真の愛なのか、それともプライドから出た画策なのか。
僕にとって「ボリス」は、5本の指に入る名作オペラである。過去の土俗と未来の真理が交錯する、破壊と創造の音楽。生は死であり、死はまた生と同義。表面上悲劇を装うが、むしろ聖なる喜劇であると僕には思えてならない。

 

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