アルバート・アイラーを聴く

ayler_spiritual_unity.jpg独りでじゃないと聴けない音楽がある。その人の音楽を楽しむというより、黙って静かに、そして懸命に耳を傾ける。そんな儀式のような、それでいて決して形式的でない、あまりに人間的な作品を見つけた。この人は何を言いたいのだろう?そして、何を表現したいのだろう?わずか30分という時間の中で、ここまでの集中力とエネルギーを要するアルバムというのはほとんど出くわさない。いつだったか、そのタイトルに興味を抱き、CDを手に入れたものの、音楽というより感情の垂れ流し的なサックス・プレイに不気味さを覚え、棚の奥にしまったきり、放ったらかしにしてあった音盤を取り出した・・・。

昨年後半、菊地成孔氏のいくつかの著作を読み、ジャズの歴史、キーワード、様々に触れ、未知のこの世界について徹底的に勉強したいという思いが強くなった。いかんせん時間が間に合わず、自分の思い通りの探索は一向に進んでいないが、東大講義録のタイトルにもなっていたアルバート・アイラーのこの音盤のことを思い出し、ちょうど今日はサロンに独りきりだったので、繰り返し聴いたのである。

「魂の慟哭」なんて月並みな表現は使いたくない。サックスという楽器がアイラーの声帯と同化して、背筋がぞくぞくするような「音」を出すだけで、何だか異次元世界に彷徨うかのような錯覚に襲われる。ただし、“Ghosts”の懐かしさを帯びる主題については間違いなく「音楽」だ。とはいえ、その後のヴァリエーションについては・・・、凄過ぎる。

Albert Ayler Trio:Spiritual Unity(1964.7.10録音)

Personnel
Albert Ayler(saxophone)
Gary Peacock(bass)
Sunny Murray(percussion)

アイラーのサックスが、泣き、叫び、時に微笑する。一方、その阿鼻叫喚を見事に支えるピーコックのベース、マレイのパーカッション。3人がフリージャズという名の下、ぶつかり合いながらも完全に調和する様は、まさに「自由」を獲得した「協働作業」。ただただ、独り・・・、悦に浸る。

そろそろ妻が帰ってくる。さて、またしばらく封印しよう・・・。

※アルバート・アイラーが亡くなった(殺された)のは1970年11月25日。三島由紀夫の割腹自殺の日と同日らしい(参考ブログ)。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
アルバート・アイラー、ご紹介の音盤、持ってはいるのですが、お恥ずかしいことに、私はまだしっかり理解するほど聴き込めてはいないんですよ。猛省!!
この連休の空いた時間に、文藝春秋3月号で、今回の芥川賞受賞作二作、朝吹真理子さんの「きことわ」と、西村賢太さんの「苦役列車」の、全文を読みました。芥川賞作品をちゃんと読むのは、第77回(1977年上半期)の、 三田誠広氏「僕って何」、池田満寿夫氏「エーゲ海に捧ぐ」以来のことです。
朝吹さんと西村さんの、人も作品も、何とすべてが対照的なことか!!
でも、両方とても面白かったです。
西村賢太さんの「苦役列車」は、負の塊のような私小説ですが、我々の身代わりになって、「苦役列車」に乗ってくれたり、死んでくれたりする芸術は、絶対に必要です。
>独りでじゃないと聴けない音楽がある。その人の音楽を楽しむというより、黙って静かに、そして懸命に耳を傾ける。
「魂の慟哭」のような、苦しむ音楽に共感するのは、音楽が私達の人身御供になってくれているからなのではないかと、ふと思いました。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
あー、それはもったいない。
お忙しいとは思いますが、30分ほどですのでSACDの合間にご堪能下さいませ(笑)。ちょっとモードを切り替えなきゃですが。
芥川賞受賞作は僕は長らく読んでないですね。たまにはいいかも、ですね。
>苦しむ音楽に共感するのは、音楽が私達の人身御供になってくれているからなのではないか
確かに!負の美学ってやっぱりありますね。

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