朝比奈隆指揮大阪フィル ベートーヴェン第1番(2000.7.23Live)ほかを聴いて思ふ

「獅子の爪」って知ってますか。これはヨーロッパの諺にあるあるんだそうですが、ライオンぐらいの動物はざらにいるけれども、爪が違うというんです。凄いんですってね。草むらの中から前足を出していて、それでガッとやられたらもう逃げられない。これは諺ですから、動物学的な話ではありませんけれども。つまり一端を見れば全貌がわかる。この「一番シンフォニー」はその獅子の爪だというわけです。これを見て、これから先のものが獅子だと思わないようなやつは獅子に食われてしまう。
朝比奈隆+東条碩夫「朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社)P16

かつて朝比奈隆はベートーヴェンの交響曲第1番についてそう語った。
第1楽章序奏アダージョ・モルトから、ただごとではない巨大感が僕たちを襲う。

大がかりなんですよ。それからアレグロに入ってからの主題もごく古典的なものですが、やはりトーンの色彩、三度音程の使い方、fとffの使い分け、全体の構成、どれも大変なものを持っています。
ですから、この「一番」以降のシンフォニーが現代の大編成のオーケストラに耐えられるんです。

~同上書P17

耐えられるどころか、彼の音楽は今もって新しい。
ベートーヴェンの慧眼は、いつも100年単位先の未来を見通していたのである。

最晩年の朝比奈隆の棒は、例によって重厚に音を鳴らしつつも老練の透明感を獲得していた。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(2000.7.8Live)
・「レオノーレ」序曲第2番作品72a(1965.6.18Live)
・交響曲第1番ハ長調作品21(2000.7.21Live)
・交響曲第1番ハ長調作品21(2000.7.23Live)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

回を重ねる毎に朝比奈の棒はしなやかに、そして、大阪フィルの演奏は脱力の態を獲得して行く。神々しいばかりの光彩が若き日の交響曲に降り注ぐ様。特に、実際僕が会場で体験した7月23日のサントリーホールでの演奏は、隅から隅まで自然体でありながら熱のこもったもので、この交響曲の神髄がようやく体感できたと思うほどの名演奏であったことを昨日のことのように思い出す。

すべての始まりを予告する第1楽章序奏アダージョ・モルトの閃光!また、第2楽章アダージョ・カンタービレ・コン・モートの憂いある清澄な音。そして、もはや軽快な舞曲とはいえぬ第3楽章メヌエット(トリオの歌が素晴らしい)を経て、終楽章アダージョ—アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェの喜び!

聴衆の、歓喜の喝采がこの日の感動を伝えてくれる。この拍手の中に僕の拍手も埋もれていることが何より感激。

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2 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。
1番を改めて聴いてみました。初期の作品はハイドンやモーツアルトの影響が強い、という偏見があったのですが、なんのなんの、第1楽章の序奏から堂々たる高貴さを発しています。さすが朝比奈さんはうまいことを言われます。「獅子の爪」、尋常ならざる作曲家の登場を告げる交響曲だったのですね。指揮者は全楽譜を頭に入れ、構成を俯瞰し、作者の意図せんところを掴もうとするのですから、色々な作曲家の工夫や特徴が如実にわかるのでしょうね。ウィーンに来てハイドン等に学び、ピアノ曲や弦楽曲等で自信をつけ、満を持して放った交響曲なのでしょうか。トントントントーンと繰り返される太鼓のリズムや全体の躍動感等から、前途洋々たる若きベートーヴェンの意気が感じられてこちらも嬉しくなります。またテレーゼ、ヨゼフィーネのブルンシュヴィク姉妹との師弟関係が始まり、特にヨゼフィーネへの恋心で気持ちも華やいでいたでしょう。
 CDに自分の拍手が入っているといる、というのはいいですね。名盤の中に咳払い等がよくありますが、その主がうらやましくなります。 
1番を聴く機会をくださりありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

僕も最初の頃は第1番に関して随分軽視しておりました。(笑)
しかしながら、何度も実演に触れ、繰り返し音盤を聴くことで、やっぱりここにもベートーヴェンらしい革新があることに気づきました。何といってもベートーヴェンが満を持して発表した交響曲ですから。おっしゃるように確かに恋心も華やいでいたことと思います。

>名盤の中に咳払い等がよくありますが、その主がうらやましくなります。

その気持わかります!(笑)

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