愁いの故に柔らかく、もの静かなる夕暮どき
既に忘れいた歌の節がわが身を包んで
涙わが頬をつたいて落ち
過ぎし日の心の古傷がまたも血をながす。
「愁いの故に柔らかく」(壁画的なソネット・第5歌)
~片山俊彦訳「ハイネ詩集」(新潮文庫)P70
ハイネの詩が身に沁みる。
1797年、シューベルトと同じ年に生まれたハイネは、1856年2月、58年の生涯を終える。ハイネは、先を見通す力に長けていた。同時に、同時代の、目前の現実を実に精緻に、そして浪漫をもって描く力量をもっていた。
「ファウスト」は聖書と同じくらい広大で、聖書と同じく、人間と人間解釈学までひっくるめて天と地を包含している。
~同上書P219
ハイネはゲーテを尊敬した。しかし、50も上の先達を崇めるも、真似しようとはしなかった。あくまで自分という孤高を貫いた彼は、やっぱり自律的だったのである。
特にフランス革命以降、19世紀欧州が生み出した天才たちの世代とジャンルを超えた「掛け算」の妙。すべては相互関係の中にあるのだ。
ハイネとシューベルトの掛け算ももちろん素晴らしかった。
そしてまた、20世紀におけるリヒテルとボロディン四重奏団の掛け算も凄まじかった。
何て喜びに満ちる、それでいてアットホームな雰囲気を醸す演奏なのだろう。余所行きの緊張感は良い意味でそこにはなく、リヒテルもボロディン四重奏団の団員も小さなサロンで奏するように音楽そのものを心から楽しんでいるようだ。
第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの勢いと生命力。また、第2楽章アンダンテの安寧。第3楽章スケルツォは、躍動的だがどこか重く憂鬱を秘める(シューベルトの翳)。続く、第4楽章は、「ます」による静謐な変奏だ。抑制された弦の主題に対し、リヒテルのピアノは時に激しく、大いに歌う。喜びと悲哀の対比を見事に証明しつつ、かの有名な歌が開放される。そして、終楽章アレグロ・ジュストの洋々たる遊び。旧ソ連の巨匠たちが繰り広げる演奏は、丁々発止の刺激を抑えたもので、優しく世界を包み込む慈しみに満ちている。
22歳のシューベルトが書いた、愛の歌。