mozart_grossemesse_fricsay.jpg朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記」。今日から「日中子々孫々」というタイトルで日本と中国の架け橋を演出してきたエピソードが何日かにわたって語られるようだ。
今日の記事の中に次のようなことが書いてあった。歌手の谷村新司が上海音楽学院の教授に招かれ、その授業で水を半分入れたコップをもとに「詩」を書くよう呼びかけた時の話。クラシックをベースに幼い頃から一貫して英才教育を受けてきた秀才たちに自分で詩を書くという授業など受けたことがなかったらしい。しかし、30分ほどで中に素晴らしい発想、そして表現力のものがあったことが途轍もない驚きだったという。

『コップが倒れ、水がこぼれ出た。そのとき、水は初めて自由を知った。そして自分には形がないことも知った-』

まさに。「水」は「魂」と同じなんだ。

夜、いつものようにS社のT社長のお招きで、「Africa Mission 2008」~アフリカ緊急支援チャリティーコンサートに行ってきた。会場は、みなとみらいのパシフィコ横浜国立大ホール。XJapanのToshiをはじめ、宗次郎や村上”ポンタ”秀一らが趣旨に賛同して出演したアフリカ支援のためのコンサート。5年に一度のアフリカ開発会議(TICAD)が今まさに横浜で開催されていたが、その最終日に連動する形でのイベントとなった。いろんなアーティストが数曲ずつ演奏したが、今日の一番は宗次郎の奏でるオカリナ。さすがに第一人者だけあり、とても小さなオカリナ一つで奏しているとは思えないほどのエネルギーと崇高さが漂った瞬間であった。「水心」、「パチャママ(母なる大地)」、「土の笛のアヴェ・マリア」という3曲を披露。横浜に向かう前に新聞で読んだ「水」のことが頭を過ぎった。「シンクロ」か・・・。

モーツァルト:ミサ曲ハ短調K.427(417a)
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団
マリア・シュターダー(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
イヴァン・サルディ(バス)

1783年、コンスタンツェとの結婚を祝して自らのために書いた未完の教会音楽。「クレド」と「アニュス・デイ」が完成されないまま終わっているのが残念だが、同じ未完の大曲であり最後の作品である「レクイエム」K.626よりも瑞々しく解放感のある屈指の名曲である。1960年頃のフリッチャイの演奏が新鮮でこれまた良い。
ちなみに僕が所有するこの音盤にはもう一つ「フリーメイソンのための葬送音楽」K.477が収録されているが、これも名演だ。こんなに悲しげでうねりのある表現は珍しい。ひょっとすると愛聴盤であるワルター&コロンビア響以上の出来かもしれない。

⇒旧ブログへ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む