癒しのモーツァルト

mozart_27_backhaus_bohm.jpg基本的に研修は人里離れた自然の中で「静かになって」やるべきものだと思っている。余計な気がかりをいかに減らし、プログラムに集中できるか、そしてあらゆる文明の利器から離れて自分自身にいかに意識をフォーカスするか、そういうことがとても大事だと思うのだ。

先週に引き続き、新入社員合同研修。今日明日の2日間は五反田ゆうぽうとの研修ルームにて。16名の新人さんたちと初めて顔を合わせ、8時間超の体験実習を中心とした内容で、様々な気づきを得ていただいた。少なからず反応の鈍さを感じたものの第1日目が終わってみての感想を聞く限りでは、それぞれが相応の「想い」を持っていただけたようで良かった。明日もまた丸一日研修が続くが、気合いを入れてがんばろうと思う。

とはいえ、思った以上に疲れた。通常これくらいは集中力も途切れず難なくこなせるのだが、不思議に今日は違った。天候のせいか場所のせいか理由は定かでないが、とにかく終了後大変に身体が重かった。よくよく考えてみると、昨晩はあまり寝つきが良くなく、多少睡眠不足というのも災いしたのかもしれない。基本的に眠れないということは滅多にないのだが、遠足の前のような気分で高ぶっていたのか、または研修前で無意識に緊張していたのか、僕の精神力も大したことないなと少しばかり反省した。

久しぶりに癒しのモーツァルトを。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

何という純白の、穢れのない音楽か・・・。しいて言うならこういう空気感の中で人と人とが向き合い、そして切磋琢磨すれば、それが「人間力」の向上に即つながるのではないか、そんなことまで感じさせてくれる音楽である。あまりにも朴訥で色気のなさが本当は気になるのだが、そういう自然体・ありのままのモーツァルトの姿が見事に具現化されているという点では人後に落ちない。もう30年も前、初めてアナログの輸入盤に触れた時も、K.331のソナタとのカップリングだった。国内盤はシューマンのコンチェルトとのカップリングだが、輸入盤CDはソナタとのそれ。これを聴くと高校生のあの頃のことが走馬灯のように蘇る。

この有名な録音のポイントは、やっぱりベーム&ウィーン・フィルだとあらためて思う。全盛期のカール・ベームの音楽作りは天才的だ。ベームは実演の人というが、スタジオでも「すごい」演奏を残しているということか。


5 COMMENTS

ザンパ

名盤ですよね。ベームの棒が吸いつくようにピアノに合わせてゆくんですよね。ちょっと音がキツいかなって思う時もあるんですが、だからこそ音楽の意味が解き明かされてゆく雄弁さがあります。

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雅之

おはようございます。
名盤なのは当然なのですが、期待に胸膨らむ新入社員合同研修の講師を務められる合間に聴かれる音楽にしては、モーツァルトの晩年は精神衛生上あまりにも哀しすぎるのではないでしょうか(凡人の常識ではそうなのでは?・・・笑)。私なら、こういう日には絶対選ばない曲ですが、それを選曲されるのがまた、岡本さんらしくて新鮮且つ斬新です。
そうか!!そういう皆が思い付かない奇抜なアイディアこそ、新人には求められるってことですか!!
「人の行く裏に道あり花の山」
じゃあ、お前なら何を聴くんだ、ですか? 
う~ん、山本直純さん作曲の「一年生になったら」くらいでしょうか・・・凡人ですから(爆)。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/ichinenseininattara.html
健康にご留意を!

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岡本 浩和

>ザンパ様
おはようございます。
名盤ですよね。
>ちょっと音がキツいかなって思う時もあるんですが、だからこそ音楽の意味が解き明かされてゆく雄弁さがあります。
その通りだと思います。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
昨日のK.595は「期待に胸膨らむ」は横に置いておいてあくまで自分のために聴きました。あまりに哀し過ぎるゆえあえてということです。
>奇抜なアイディアこそ、新人には求められるってことですか!!
まぁ、そういうこともありますが(笑)。
いやあ、懐かしいですね、「一年生になったら」!!
直純先生はやっぱり天才ですね。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » きわどい一点

[…] そもそもこの音楽自体、今まさにこの瞬間に生み出されたような「透明感」と「無の境地」を体現するような作品なのだけれど、最晩年のモーツァルトの孤高の境地を「淡々と」見事に表現し切っており、こちらもほぼ30年ぶりにひもといてみて「嗚呼、なんて素敵な音楽なんだろう」と感嘆した。かつてラローチャがショルティと録音したもの、そしてバックハウスがベームと録音した音盤たちをとっかえひっかえして聴いていた頃、もっともプレーヤーに載る回数が少なかったレコードだが、何だか損をしたような気分に今なった。 […]

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