ジョルジュ・ドン 二十世紀バレエ団 ラヴェル ボレロ(1982)

一見無益に見えるものが、実はいちばん有益だ。
(モーリス・ベジャール)

「愛と哀しみのボレロ」以来、ジョルジュ・ドンのボレロは特別なものになった。
1982年のボレロは、クライマックスで野獣のような表情を見せるドンの真骨頂だ。正規映像で残された1985年1月のものに比して、その踊りはより熱を帯び、真に迫る。

最高のダンスが、深い呼吸の中にあり、また極めて脱力の中でなされるものであることをあらためて思い知る驚異のパフォーマンス。エキゾチックなラヴェルのボレロが、シンプルながらなお官能の様相を示すのだから視覚効果の効能というか、あるいはダンスの効果というか、感動を喚起する。

幸運にも僕はジョルジュ・ドンのボレロを2度観ることができた。
ただし、いずれも晩年のパフォーマンスで、体のキレは全盛期に比べてさすがに鈍い印象は否めなかったのだけれど。それでもあの日、あの場(東京文化会館)でかぶりつきで(大勢の観客とともに)稀代のバレエを体感できたことは、僕のアート体験の十指に入る出来事だ。

モーリス・ベジャールの振付の革新に感動するも、最大の功績は、そもそも女性のためのダンスだったボレロに男性のジョルジュ・ドンを起用したことだろう。男でも惹かれるドンのあの中性的色気は一体どこから生じるのか?
彼以降のダンサーの誰にもない官能がある。

わたしは自分を創造者とは思っていない。
創造とは無から有を作るが、わたしは有から有を作るからオーガナイザーだ。
産婆のような存在だと言ってもいい。
音楽とダンサーとテーマ。この3つがなければ成り立たない。

(モーリス・ベジャール)

ベジャールにとってジョルジュ・ドンは特別だった。
ドンあってのベジャール。そしてまた、ベジャールのボレロあってのドンだったということだ。ベジャールの、才能を見出す直観の奇蹟。不世出のダンサー、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」は永遠だ。

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