
セルゲイ・ディアギレフ没後90年目の日。
世界が大きく変わったように僕には感じられた。
そこには挑戦があり、また破壊と創造があった。とはいえ、目前の世界には大いなる希望しかない。恐れず、嘆かず、一歩でも二歩でも前進あるのみ。誰もが「その人」の登場を待っているのだから。
僕が、いわゆるモダン・バレエに開眼したのは随分と遅く、25歳のときのこと。モーリス・ベジャール・バレエ団の公演を観て、そして、ジョルジュ・ドンの踊りを観て、即座に惹き込まれた。それからは、寝ても覚めてもドン、ドン、ドン。我ながら異様だとは思ったが、その美しい姿にいっぺんに魅了されてしまったのだから仕方がない。
ジョルジュ・ドンを見出したモーリス・ベジャールは天才だ。同様に、その何十年も前にヴァスラフ・ニジンスキーを発見したセルゲイ・ディアギレフは20世紀を代表する興行師であり、20世紀最大の天才だった。
以前、ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場による「ストラヴィンスキーとバレエ・リュス」という映像を観て、僕は痛く感動した。何よりほぼ初演の振付に近い状態まで復元された「春の祭典」の神々しさ!粘るゲルギエフの棒にも舌を巻いた。
そして、「春の祭典」から遅れて2週間後に初演されたフローラン・シュミットの「サロメの悲劇」についても、決してメジャーな作品ではないが、美しくも官能の瞬間多々で、僕は思わず音楽に痺れた。
また、モーリス・ラヴェルの最高傑作のひとつ「ダフニスとクロエ」についても然り。
極めつけは、ニジンスキー振付による「牧神の午後」だ。
ニジンスキーはもちろんのことディアギレフですら当時あれほどのスキャンダルに発展するとは思ってもみなかった、観衆に猥雑な印象を植え付けた問題作。これこそ、革新的マスターピースの一つだと僕は思う。
1世紀も前の、ディアギレフに、そして、ニジンスキーに思いを馳せる。
人間の体躯がいかに魅力的なものであるか、そして、その動きと音楽の革新が見事に合致したときに起こる奇蹟こそ神々との一体。
ディアギレフがいなければ存在しなかった傑作は数多い。
セルゲイ・ディアギレフ90回目の命日に。