ブルーノ・ワルターの音楽の芯にあるものは「覚悟」だと、版画家の佐野洋司さんは言う。
私たち人間が本来もっているかけがいのない魂、その在りようの追求、そのものだ。
~宇野功芳編集長の本「没後50年記念 ブルーノ・ワルター」(音楽之友社)P29
なるほどうまい表現だ。
ワルターが生きた時代の背景もワルターが「覚悟」を決めるのを後押ししたのではなかろうか。また、親交のある著名な文化人たちからの影響も当然あろう。もちろん、悲喜交々、様々な体験が彼の芸術にもたらしたものは「覚悟」に他ならない。
同情と思いやりある、善意と友情にあふれたお言葉をいただき、なんとお礼申してよいやら分かりません。当方の境遇をご明察のほどは、祈りのお言葉からもうかがえますが、それはまた私の祈りでもあり、悲惨な姿を眺めては日ごと私の心に新たなる思いです、どうか後生ですから、もはや存在とはいえぬこの存在が、安らかな最期を迎えますように。
(1944年10月1日付、トーマス・マン宛)
~ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P270
同年8月に卒中を起こし、意識不明に陥った妻エルザへのマンからの言葉への返事を読むにつけ、そこにはワルターの覚悟と慈悲の心が垣間見える。彼の中にはどんなときも勇気があった、また、智慧もあった。だからこそ彼の音楽には雄渾さと愛情深さがあった。
何よりモーツァルト!!
一昔前の、浪漫の衣を着た堂々たる表現に、僕は思わず快哉を叫ぶ。
歴史を想像し、手紙をひも解き、自伝を読みながら聴くことは、音楽の醍醐味。
まさに、「目で聴き、耳で観よ」と、ワルターの音楽は教えてくれる。
自身の身に上に起こった不幸をはじき返すかのような、激する「ジュピター」交響曲の感動。そして、アメリカでの亡命生活もそろそろ板について来たであろう時期の「プラハ」交響曲の重みと美しさ!!何と現実的な幻想であろうか。
ゆっくりと歩を進める第1楽章序奏アダージョの深みと、主部アレグロに入って音調は一転するも、前のめりの明朗さがどこか暗く哀しいのはワルターの成せる業。第2楽章アンダンテがことのほか美しい。また、生命力に満ちる第3楽章プレストのうねり!
父が死んだとき、モーツァルトが受け取った遺産は現金1000グルデンに自分の楽譜だけであったが、メイナード・ソロモンの研究によれば、姉のナナールは1829年に78歳で没したとき、7000グルデン近い預金を残しており、ほとんど収入のなかった彼女がなぜこのような大金を残すことができたかは謎とする一方で、おそらくそれは父レーオポルトから生前に贈与されていたものであろうと推測する。それは、もちろん、しがない楽士のレーオポルトにも持てるはずのない金額であり、多分、神童モーツァルトがその栄光の旅で稼いだ金を父がひそかに蓄えておいたものであろうという。息子の離反を許せなかった父は、その金が遺産となって息子に渡らないように、姉に生前贈与をしたというわけである。
~石井宏「モーツァルトは『アマデウス』ではない」(集英社新書)P229
真か嘘か、実際のところは歴史の闇の中だが、モーツァルトの最晩年の貧困を知るにつけ、(これがもし事実だとしたら)何と切ないことか。神がかった創造物と本人の性格のあまりの乖離に思わず言葉を失う。