
ベートーヴェンはとても現実的な人間だったが、自身の心の深層にまで意識を向け、それを音楽として描写することに長けた人だった。常識と道理(真理)はまるで異なる。常識は時代によっても場所によっても変化するものだが、道理(真理)は1万年前も、あるいは1万年後も一切変わることがなかったし、ない。楽聖ベートーヴェンがリーチしていたのはまさにこの道理(真理)ではなかったか。
ベートーヴェンに革命的・啓蒙主義的思想を植え込んだのが、ボン大学のシュナイダー教授であった。具体的には、シュナイダーとシラーの友人フィシェニッヒがギリシャ文学と、自然法、人権について講義した。短期間ではあったが、ベートーヴェンにとっては大変幸運なことに、将来にむけた人格形成のために非常に貴重な体験であった。
シュナイダー教授は1790年にフランクフルトで詩集を出版したが、その本の予約購読者の中にベートーヴェンの名前がある。ベートーヴェンも教授の考えに賛同していたものと想像できる。詩集の中の一部を下記する。(原文省略)
僭主者によってはめられた手錠の鎖は
お前の手から切り落とされた
解放されて幸せになった人民よ、
君主の王座はお前にとって自由の場所となり
王国は祖国に取って代わった。
もはや「これがわらわの意志だ」という王侯の署名による命令によって
人民の運命が決められるのではなくなったのだ。
そこではバスチーユの監獄はがれきに埋もれている。
フランス人は自由になったのだ。
急進的なシュナイダー教授は大学を去り、自ら仏革命の中に身を投じてジャコバン会のメンバーになるが、ロベスピエールが権力を握ると事態が急変し、外国人であるがゆえに疑いをかけられて1794年に処刑されてしまう。
ベートーヴェンがこの悲報を受け取ったかどうかは定かではないが、ベートーヴェンがシュナイダー教授から受けた精神が音楽の中で生き続けたことは間違いない。
~藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P297
ワーグナー然り、読書遍歴こそがその人の精神を形成したことは確かだ。
ベートーヴェンの信念は、そのままシュナイダー教授の詩集からも間違いなく影響を受けているだろう。彼は(魂の)真の解放を目指して芸術音楽を創造した。歌劇「フィデリオ」、特に原「フィデリオ」たる歌劇「レオノーレ」もその一つ。
その昔、初めてこの録音を聴いたころ、僕の印象は、何と色気のない、遅々として進まない演奏なのだろうというものだった。ついに還暦を迎え、色気など自ずと遥か彼方に押しやった状態の中、久しぶりにこの録音に触れ、逆に生々しくも現実的な演奏であることに気づかされた。
ちなみに、昔懐かしい白地に赤文字でタイトルが、そして青文字で演奏者が記されたウェストミンスター国内盤の解説には、福原信夫さんが最晩年のクナッパーツブッシュの指揮する歌劇「フィデリオ」を聴いたそのときの様子が書かれてあった。
クナッパーツブッシュはオーケストラの係りの人に抱きかかえられるようにして指揮台にのぼり、客席に拍手に見向きもせず、指揮棒を目の前あたりにかまえた。それは決して大きなアインザッツではなく、まるで中気で手が震えているとでも形容してよいほどの小さな指揮ぶりだったが、その音のいかに強大で緊張度のあふれるホ長調、アレグロの冒頭であったことか。たしかに晩年の彼の指揮は、椅子に腰かけたままで決して大きな指揮棒の動きはなかったけれども、密度の極めて濃い充実したひびきと、ゆったりとして充分にテヌートのきいた音の構成は実に圧巻であった
~VIC-5205-7ライナーノーツ
強烈な印象を残したクナッパーツブッシュの実演とはどれほどのものだったか!
録音のクナッパーツブッシュはそれに比べると随分大人しい。おそらく実演の巨匠の音は度肝を抜かれるほどの濃密な音塊が波動砲のように客席に届いたのだろうと想像する。
そして、終演後楽屋を訪れた福原さんはクナッパーツブッシュと話をしたという。
「日本という国はいちど行ってみたい国だ。だがもう健康が許さないだろう」という彼の頭の中には、日本がまるで「おとぎの国」のように映っていたようだ。
~同上ライナーノーツ
もはや60余年前の話。世界は随分変わった。