朝比奈隆指揮新日本フィル ブルックナー 交響曲第9番ほか(1980.6.4Live)

東京カテドラル聖マリア大聖堂でのブルックナー。
朝比奈隆による交響曲第9番ニ短調は、後年のものにもっと良いものがある。しかし、僕にとって朝比奈の第9番は、このときのものが原点であり、リリース当時、本当に音盤が擦り切れるほど聴いたことが懐かしい。

第9番は、朝比奈隆のブルックナーの原点である。

だいいち、指揮者にそうはっきりした確信がない、オーケストラもブルックナーの音楽をよく解ってないし大体あんまりやりたくもない、マネージャーにいたっては、できればやってほしくない、いいことひとつもないわけですから(笑)。
ただ、私はどうしてもやりたかった・・・。誰が反対しても、誰が嫌がっても、とにかく自分の手で全部をやらなきゃいけないと、執念みたいなもので、ひとつひとつやっていったのです。ずいぶん、版のうえでの誤りとか、考え方の誤りだとか犯しながらですけれどね。

金子建志編/解説「朝比奈隆—交響楽の世界」(早稲田出版)P302-303

フルトヴェングラーとの立ち話での「オリジナル・ファスングを使うべきだ」という有名な話にまつわる、朝比奈の心の内側、というか本音。確かに朝比奈が執念に近いものをもってブルックナー演奏に臨まなければ、日本のブルックナー受容史は随分違ったものだったろう。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(原典版)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1980.6.4Live)

全編を耳にした後、僕は第3楽章アダージョを繰り返し2度聴いた。
ゆったりとしたテンポで、情感を込めて歌われる音楽は、後年の、もっと澄み切った、それこそ悟性でのみ捉えた演奏と比較すると、あまりに人間的な佇まいなのだけれど、当時70代前半の朝比奈の血気盛んな本領を発揮しているようで実に頼もしい(会場の残響の長さの影響もたぶんにあろう)。

一方、当日共に演奏された、珍しい「序曲ト短調」の素晴らしさ。

・ブルックナー:序曲ト短調
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1980.6.4Live)

ブルックナーがオットー・キツラーの下で管弦楽法を学んでいた時代、いわゆる「習作交響曲」ヘ短調とともに生み出されたこの作品が、朝比奈らしいごつごつした肌触りながら、何とも誠心誠意のもと演奏される様子に、これ以降朝比奈が舞台にかけなかったことが残念でならない(こういう珍しい作品を朝比奈の棒で僕は一度でいいから聴きたかった)。音楽は、いまだブルックナーの方法を獲得しない、それこそメンデルスゾーンなどの影響下にある、快活で開放的な音調だけれど、随所に現れる大自然を映す調べはいかにも巨匠らしいもので微笑ましい。

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