ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ モーツァルト レクイエムK.626(1986.9録音)

抗わず、どれだけ謙虚になれるのか。
一瞬の生の中でどれだけのものを獲得しようとも、死を迎えるときはたった独り、何も持たずに逝く。「死の意味」をどうとらえるか? 死は決して終りではないと僕は思う。

ウィーンのカプツィーナー教会の地下にはハプスブルク家の墓所があり、そこには歴代の皇帝を始めとするハプスブルク家の人々の何百年にもわたる柩が置かれている。それらのほとんどは生前の権力を死後にも誇るかのように豪華に作られているのだが、柩にほどこされた彫刻には骸骨が王冠を戴いているものまである。これはグロテスクというよりいささか滑稽でさえある。しかしこれを作らせたのも「死の意味するもの」の表現にほかなるまい。
フランツ一世(1708-65)と、アリア・テレージア(1717-80)の柩はロココ様式の彫刻をほどこした巨大で豪華極まるものだが、その息子のヨーゼフ二世(1740-90)の柩は、彼の徹底した合理主義を反映して、一切の虚飾を持たない簡素な金属の箱にすぎず、際立った対照を見せている。私はここを訪れるたびに、死生観の見本市さながらの様相に、さまざまな思いをかきたてられる。

井上太郎著「レクィエムの歴史 死と音楽との対話」(平凡社)P12-13

少年モーツァルトにまつわる逸話。
1762年10月、6歳のヴォルフガングを連れたレオポルトは、初めて訪れたウィーンで、女帝マリア・テレジアへの謁見、試奏という幸運のおすそ分けに与る。

プロの音楽家にも匹敵する音楽の素養のあったマリーア・テレージア女帝がすっかり感動して、ヴォルフガングを自ら抱き上げて頬ずりしてくださった。彼女の横には夫君フランツ帝を初め、長男ヨーゼフ(のちのヨーゼフ二世)以下の王子、王女たちがずらりと並んで拍手を惜しまなかった。
石井宏「モーツァルトは『アマデウス』ではない」(集英社新書)P61

それは、神童ヴォルフガングの名は欧州中に響き渡るきっかけとなった出来事だ。
その後も旅に明け暮れる父子が1768年1月、再びウィーンの地を踏んだときのエピソードがまた興味深い。

喜び勇んで待ちに待ったその日を迎えたレーオポルトではあったが、終わってみれば何事も起こらなかったのだ。確かに女帝は、妻には、手を取ったり頬を撫でたりで、考えられないほど優しく接してくれた。皇帝ヨーゼフ二世はヴォルフガングやナナールと楽しそうに談笑した。
しかし、それだけだったのだ。

~同上書P72

墓所の様子に見るように、自らの威信の強調こそが女帝の思惑だったのだろうか。退廃的な暗雲立ち込める当時のウィーンにあって、国を統べる女帝は音楽どころではなかったのだと思う。

人は無限の中に消えていった魂に向かって呼びかけ、谺に耳を澄ます。それが音楽の形をとる中で、レクィエムは際立った存在である。
井上太郎「レクィエムの歴史 死と音楽との対話」(平凡社)P13

そこに表現されるのは悲しみか祈りか、はたまた憧憬か。

モーツァルト:
・レクイエムニ短調K.626(ジュスマイヤー版)(1986.9.22-24録音)
・キリエニ短調K.341(368a)(1986.11.30録音)
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(コントラルト)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)
ウィラード・ホワイト(バス)
モンテヴェルディ合唱団
スーザン・アディソン(トロンボーン・ソロ)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

ガーディナーの演奏は実に軽い。しかし、それは決して浅いというものではなく、むしろ、死への憧憬や希望が刻み込まれたものだ。死は恐れるに足りぬものという、黄泉の国からヴォルフガングが語りかけるような明朗さ(ここにはいわゆる抹香臭さは皆無)。

ところで、1780年の作とも1788年の作とも推察される「キリエニ短調」の素晴らしさ!ミサ曲作曲の頓挫の理由は明らかでないが、エリック・スミスの推論が腑に落ちる。

ザルツブルク時代には多くの教会音楽を書いたが、その後はハ短調のミサも《レクイエム》も未完に終わったため、宗教曲の大作で完成したものはない。上記のスケッチは例になくモーツァルトが真剣に長く取り組んでいたことを示している。これの完成を妨げた理由は他にもあろうが、その障害は彼がきっぱりと大司教の宮廷を離れ、フリーメーソンの新しい合理的な宗教哲学のほうに次第に傾斜していったことに端を発していると見ることができるだろう。
(エリック・スミス/石井宏訳「《レクイエム》とジュスマイヤーの優位」

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