朝比奈隆指揮新日本フィル ベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1992.12.16Live)

ゲーテとベートーヴェンの世紀の邂逅は、1812年7月のこと。
ベートーヴェンは、その前もその後も、生涯にわたり文豪ゲーテに対する尊敬の念を失うことがなかったという。一方のゲーテは、ベートーヴェンの革新的な音楽に(彼の人間性にも)強烈な印象を受けたものの、芯から理解はできなかったようだ。
その証拠に、ベートーヴェンは事あるごとに幾度かゲーテに手紙を送っているが、ゲーテの方は、邂逅前の1812年6月25日に一度きり手紙を認めたに過ぎず、返信を含め一切の手紙の送付を拒否していた。

―さて閣下にお願いがございます。わたしは、大ミサを書きました。このミサ曲は、目下のところ公にするのではなく、最も主だった宮廷に送付しようと考えております。価格はわずか50ダカットであります。こうした思いで、ワイマール大公国大使館にお伺いをたてましたところ、大公殿下への請願状は受理され、それを殿下にお渡しくださることを約束いただきました。このミサは、オラトリウムとしても上演できます。今日、慈善団体がこうしたものを必要としていることは、周知のところであります。
―わたしのお願いは、殿下がミサを予約していただくように、閣下からご進言いただきたい、ということであります。もし大公が、前以てこのことで前向きなご意向であれば、非常に好都合であろう、とワイマール大公国大使館が示唆してくれました。—

(1823年2月8日付、ベートーヴェンからゲーテ宛)
藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P22

ほとんど自己卑下的な、あまりに謙虚な姿勢でのベートーヴェンの依頼を、どうやらゲーテはいとも容易く無視しているのだから、何とも理解に苦しむ。傑作「荘厳ミサ曲」をゲーテの耳、というか精神は、充分に捉え切れなかったということだ。実に悲しいこと。

ちなみに、この手紙に関し、ロマン・ロランが「ゲーテとベートーヴェン」の中で、次のように書いていて、その内容はとても納得が行く。

たとえ「荘厳ミサ」に何の興味を覚えなかったにしても、ゲーテたるものは、両腕を拡げてベートーヴェンにこう言うべきだろう。—「私に信頼を寄せてくださってありがとう。恐縮などなさらないでください。私に向かってご自分を卑下なされば、私自身が自分を卑下することになりますから。」
~同上書P24

ベートーヴェンの魂はやはり当時の誰よりも先んじていたのだろうと思う。
後天的な性格や性質を超えた彼の先天的な本性は、明らかに良心を正しく捉え、そして慈しみを発していた。

かつて僕が実演で触れた朝比奈隆の「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」。

ベートーヴェン:
・交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(1992.6.10Live)
岡坊久美子(ソプラノ)
伊原直子(メゾソプラノ)
林誠(テノール)
多田羅迪夫(バス)
TCF合唱団
東京オペラシンガーズ
日本プロ合唱団連合
東京アカデミッシェカペレ
麻生合唱団
・ミサ・ソレムニスニ長調作品123(1992.12.16Live)
岡坊久美子(ソプラノ)
西明美(メゾソプラノ)
市原多朗(テノール)
高橋啓三(バス)
晋友会合唱団(関屋晋合唱指揮)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

朝比奈隆渾身のミサ・ソレムニス。しかし、僕の記憶では、会場のオーチャードホールの音響があまりにデッドで、感動の一端が残念ながら心底にまで届かなかった。ただし、さすがに(後日リリースされた)録音は違った。むしろ、録音であらためて聴いて、思わず感動したくらい。第1曲キリエから堂々たる音楽が鳴らされ、特に第4曲サンクトゥスから終曲アニュス・デイにかけては絶品(こんな音楽が繰り広げられていたのだとは!!)。宗教音楽の枠を超え、まさに交響曲第9番「歓喜の歌」で目指した人類覚醒のための壮大なるモニュメント!!!
朝比奈隆の武骨だが、想いのこもる演奏に僕はやっぱり心が動く。

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