1959年10月新譜シルヴェストリの「悲愴」

どういうわけか昔の雑誌というのは味がある。
文章は何とも典雅な印象を受けるし、ひとつひとつがとても丁寧に作られている感じ。
先日お借りした「レコード芸術」昭和34年10月号をパラパラと繰ってみた。例えばレコードの月評などというのは20年前くらいまではしっかりと目を通していたように記憶するが、ここ最近は購入してもまったく読んでもいなかった。ところが、よく知っている名盤たちが新譜として紹介されているということもあるのか、どこのどの部分をとってみても面白くて仕方がない。
月評の巻頭言は村田武雄氏(僕が購入し始めたあの頃も村田氏だったことを思い出す)。そして、新譜時評として各ジャンルの担当者(交響曲が村田氏、管弦楽曲が志鳥栄八郎氏、協奏曲が佐川吉男氏、室内楽曲器楽曲が大木正興氏、声楽曲が高崎保男氏と、往年の名評論家が勢揃いで懐かしくて涙が出る・・・笑)がまずは各々コメントを出す。

先月から今月にかけてチャイコフスキーの「悲愴」が4組も出たし、ベートーヴェンの「第9」が月を同じうして2組出た。こういう競争(?)がどういう理由から来るものかわからないが、このややレコード乱発時代にまことにここに無駄ありの感がする。共食いは営利からしてもとらぬところであろう。なんとか横の連絡がとれないものだろうか。

上記は、交響曲担当の村田武雄氏の言である。「レコード乱発時代」とはそのまま現代に当てはめて良かろう。つまり、いつの時代もその時なりに「不満のある」ものなのだ。村田氏が現代のディスク・リリース量を見られたら何とおっしゃるのだろうか・・・。

ちなみに、新譜推薦盤にはカラヤンがウィーン・フィルと録音したかの有名な「ツァラトゥストラ」カール・リヒターの最初の「マタイ」、あるいはベームのこれまたモノラルの方の「コジ」などが挙げられている。何と古き良き時代。そして、「悲愴」4組のうちのひとつがシルヴェストリ&フィルハーモニア管によるもの。先日のボックス・セットから引っ張り出して聴いた。

まずは、村田氏の評をそのまま。

シルヴェストリは1913年にブカレストに生まれたルーマニアの指揮者で、今日の若い指揮者中最も人気のある一人である。かれが逞しい躯をもっているのでその演奏も粗野で豪放だと評する人があるがおよそナンセンスである。かれは実に入念にそして烈しい感動を奔放に外に出さずじっと抑えながらじっくりと盛り上げてゆく指揮者である。クリュイタンスもそうだが、フランスを中心に活躍している比較的若い指揮者はいったいにテンポが遅く、情緒的要素を大切に処理する。決して表情を大げさにせずに、しかも十分に旋律を歌わせるのは注意すべき現象である。この第1楽章はやや緊密度が保ちきれないところがあるほどにゆっくりと情緒を考えながら演奏しているし、第2楽章その他の全楽章について同じことがいえる。実に呼吸の長い指揮だ。休止の長いのもシルヴェストリの特徴であるがこの終楽章はそれがよくきいてよい演奏である。ただしシルヴェストリのリズムはときに弱い。第2楽章や第3楽章が案外に弱い表情になったのはそのためだと思う。又高潮するところで十分に盛り上がらず、又盛り上げる段階に感情や精神の緊張が粘り強く又均等にゆかないところのあるのもこの指揮者の演奏によくみるところである。第1楽章のアンダンテ主題がゆっくり高潮してゆくところに一貫した力の盛り上がりに欠けるのが、これだけ表情を考えながら演奏していながら人を打つ逞しい力の案外に少ない所以でもあろう。情緒的な構えをしながらその効果が十分に出切らないのである。第3楽章を実に派手にやりながら全体に悪魔的な動きの弱いものになったのはシルヴェストリの特徴がよく感じられる演奏でもあり又この人の限界を感じさせるところでもある。録音は優秀である。
(レコード芸術昭和34年10月号P26)

・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(1957.2.21-22録音)
・リムスキー=コルサコフ:歌劇「5月の夜」序曲(1959.3.31録音)
コンスタンティン・シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団

なるほど「人を打つ逞しい力」に乏しいのか・・・。しかし、僕にはそうは聴こえない。超絶第5交響曲の表現には遠いものの、シルヴェストリのチャイコフスキーはいずれも個性的な名演奏だ。特にティンパニの効きが見事。

前月の「悲愴」は誰のものだったのか調べるのも面倒なのでわからないということにしておくが、この月のもう1組はジャン・マルティノン指揮ウィーン・フィルの録音のよう。残念ながらこの録音について僕は未聴。村田氏は「しかしロシア人の音色感とはかなり相違するものがあるし、この曲に脈打っている民族的なメランコリーと厚ぼったい音感とが十分に出ていないのはやはりわれわれが求めているものとはだいぶへだたりがある」と、お気に召さない様子。

古い「レコ芸」としばらく遊べそうだ。面白い。
54年前に意識が見事にタイムスリップする・・・(笑)。


2 COMMENTS

みどり

当時のクラシック音楽の評論の世界がどんなものであったかわからない
のですが、「共食い」とか「営利」という文言からして、すごい…ですね。

ある洋楽評論家の方と以前にお話したことがあるのですが、その方は
「この世界は狭い。評論する人間は限られていて、出版社も外の人間に
依頼することはない」と仰っていました。

聴く側としては選択肢が多いのは有難いことだと思います。
高名な評論家の言などどうあろうと、自分がよいと思えるものに出逢えた
ことを素直に喜んだ方が楽しめますし(笑)。

岡本さんは「書いたもので認められる世界」に踏み入られたのですから
臆さずに跳んでください。
多くの方々が応援してくださっていると思います。

返信する
岡本 浩和

>みどり様
テレビなどでもそうですが、当時の言葉の選び方はすごいですよね、僕もそう思います(笑)。

>高名な評論家の言などどうあろうと、自分がよいと思えるものに出逢えたことを素直に喜んだ方が楽しめます

同感です。とはいえ、若い頃は相当左右されましたが・・・。

>臆さずに跳んでください。

はい。臆するも臆さないも・・・、そういう位置に自分がいるとは思っていないので気になりません。
ありがとうございます。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む