捨てた、そして「無言歌集」

mendelssohn_schiff.jpg一昨日は満月だった。新月の時には「願事」を託し、一方「満月」の時は不要なもの(物に限らず思いも)を捨てるといいとよくいわれる。それほど明確に意識しているわけではないが、心の中ではいつも月の満ち欠けを気にしているのは確かである。要らないモノは捨てようと意識していたからかどうかはわからないが、不慮の事故でブログの管理ソフトが飛んでしまい、更新作業がままならなくなった。というより、既存のデータまでもが修復できるかどうかの瀬戸際まで追い詰められたものだから、丸一日修復作業に追われていたと言った方が正しい。ただし、僕がいくら一人で悩んだところで右も左もわからないので、そこは優秀な右腕(笑)=このブログを作ってくれた友人に朝一番に連絡をし、忙しい中作業をやってもらったのである(彼はこれが本業ではないから、本当に申し訳なく思うと同時に全力で取り組んでいただいたことに感謝します)。そんなわけで、昨日は日記も書けなかったし、いくつかいただいたコメントの返信もできなかった。それにコメントをいただいたのに、トラブルの影響でコメントそのものが反映されなかった方もいるようだ。最近では、拙いながらこのブログを楽しみに読んでいただいている方もいらっしゃるようで、ご心配をおかけしました(たかだか一日更新しなかっただけだから誰も心配などしてないかもしれないけど・・・)。結局サイトをリニューアルして、何とか1日休むだけで再開の目処がたった。ところどころまだまだ問題があるので、少しずつ整えて心機一転、より楽しいブログを書いていこうと思う。

ところで、昨深夜、旧知の友人が末期癌のため亡くなったという訃報を今朝受け取った。まだ34歳という若さ。余命2ヶ月と宣告されながらも8ヶ月間も頑張って彼は生き抜いた。沖縄で療養していたため、病気になったあと一度も会えなかったことが今となっては悔やまれる。冥福をお祈りします。

メンデルスゾーン:無言歌集
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)

モーツァルトの再来といわれた神童時代、そしてバッハの「マタイ受難曲」に出会ったのがティーンエイジャーの頃。さらにマタイを100年ぶりに蘇演し、J.S.バッハの偉大さを世に知らしめ、今のバッハ評価の架け橋となったのはこのメンデルスゾーンであった。裕福な家庭に生まれ、生涯金銭に困ることなく幸福に満ちた人生を歩んだ彼の音楽は明るい。しかしながら、よくよく耳を傾けてみると、そこかしこに「憂い」や「哀しみ」の跡が散見されることがわかるだろう。お金があって豊かな暮らしを保障されてはいたものの、ユダヤ人への差別に苦しみ、幼い頃から「周りの評価ばかりを気にしながら」、自分ではない優等生としての自分を演じ続けた作曲家の「内なる叫び」が聴いてとれるのだ。
とにかくメンデルスゾーンのこの陰陽バランスは抜群だ。決して軽い音楽を書いた流行作曲家ではないと断じて言える。1832年から作曲者の死後1868年にかけて出版された全48曲の「無言歌集」は、そういう意味ではメンデルスゾーンの生涯にわたる心の機微を投影している傑作小品集だと思う。

※ところで、29日(祝)開催の第15回「早わかりクラシック音楽講座」では、愛知とし子がこの無言歌集から「春の歌」作品62-6を披露する予定。お楽しみに!

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アレグロ・コン・ブリオ~第3章 » Blog Archive » 真夏の夜の夢

[…] ここのところ「もう一人のメンデルスゾーン~ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯」(山下剛著)を、折を見て読んでいる。生まれ育った19世紀前半という時代背景が大きく影響し、ファニーが自身の才能を100%飛翔させることなく、あくまで弟の陰に隠れてひっそりと人生を、自身に強く納得させながら生きたことがよくわかって面白い。 伝記によると、ピアノ演奏の面でも作曲の面でも実弟より圧倒的に能力が高かったらしい。21世紀の今なら大活躍できる人だったのだろうけど・・・。フェリックス・メンデルスゾーンの作品のどれくらいがファニーの作なのだろう?「無言歌集」などは結構彼女が書いているということがわかっているようだが、少年時代の天才的作品である「真夏の夜の夢」序曲なども意外にファニーの智慧が入ってたりして・・・。事実はまったくわからないが、そんな想像をしながらソウルメイトのようなメンデルスゾーン姉弟の音楽をじっくり聴くのは至福の時間。 […]

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