暖かい季節になった。
緑の葉をつけた桜の樹々が時折の強風に煽られて、騒がしく揺れていたのに自然の息吹を感じて心が穏やかになった。
春の夜の麗しい眼ざしが
慰めるように地上を見る、
「愛のためお前はそんなに屈託しているのか、
これからまた、愛がお前を高めるだろう」
緑になった菩提樹に
うぐいすは、宵を優しく啼いている。
この歌が私の心の中に浸み込むと、
心は再びひろがるのだ。
「春の夜の麗しい眼ざし」
~片山敏彦訳「ハイネ詩集」(新潮文庫)P132-133
春は人を陽気にする。
ハインリヒ・ハイネの詩を片手に刻一刻と流れる時を思う。
背後に流れるのは、ロベルト・シューマンの「春」の交響曲。決然たる音調と、ほとんど(幾晩も睡眠なく書き続けるのだから明らかに)躁状態であろう作曲家の心境が見事に刻まれる色彩に、生きることの幸せを思った。
1841年1月25日付、クララの日記には次のようにある。
今日、ローベルトは交響曲を書き終えたようだ。大部分は夜それにかかりきりだったようだが、可哀そうなローベルトは幾晩か全然眠ることがなかった。かれはそれを《春の交響曲》と呼んでいる。
~若林健吉著「シューマン―愛と苦悩の生涯」(新時代社)P251
また、同年2月14日付、ロベルトの日記には・・・。
交響曲は多くの楽しい時間を与えてくれた。しかし眠りの少ない夜のあとで、過労がでて来たようだ。私は産後の若妻のように、幸福で明るく、そして疲労している。私のクララはこれを良く理解して、二重の心づかいでもって私に対してくれている。
~同上書P251-252
かくしてこの自信作は生まれた。
・シューマン:交響曲第1番変ロ長調作品38「春」(1955.6.20録音)
・ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」(1957.9.2録音)
ルドルフ・ケンペ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ケンペがベルリン・フィルを振った録音の多くは、60余年を経た今も燦然と輝く傑作揃い。
(僕の中では)どちらかというと質実剛健的なイメージの彼だが、音楽は常に勢いと動きがあり、決して無機的に陥らず、楽章が進むにつれ「前のめり」の攻めになる。特に、(録音のせいもあろうか)両端楽章の絵に描いたような生気は見事。
そして、ドヴォルザークの「新世界」交響曲の、第1楽章冒頭のティンパニからして実に意味深い響き。第2楽章ラルゴは何て優しい歌なのだろう。
今の季節は、夜が更けると幾分空気も冷たくなる。
それがまた郷愁を誘い、まして心地良い。
四季の移ろいの美しさ。春だ・・・、春だ・・・。
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>決然たる音調と、ほとんど(幾晩も睡眠なく書き続けるのだから明らかに)躁状態であろう作曲家の心境が見事に刻まれる色彩に、生きることの幸せを思った。
おっしゃる感覚、よく理解できます。
大河ドラマ「真田丸」より、徳川家康に敗北し自死を選ぼうとする北条氏政に語りかける真田昌幸の台詞より。
・・・・・・死にたければ死ね。されど、生きていれば、まだまだ楽しいものが見られますぞ。・・・・・・
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生きてさえいれば、必ず春は繰り返し訪れます。たとえクララ争奪戦でブラームスに負けたとしても。
>雅之様
>生きてさえいれば、必ず春は繰り返し訪れます。
その通りですね。
人間誰しも死に急ぐことはないはずです。