スカルラッティはスペインで外国人が襲われる脅威からは逃れられたようである。彼にとってそれは刺激であった。絶望や憂鬱という深淵の上で、彼は従来にない快活さと感受性を持って、また時には綱渡り芸人のような俊敏さを持って踊っていたように見える。彼生来の無敵な活力は、スペインでその全面的な表出の場を見いだしたのである。
~ラルフ・カークパトリック著/原田宏司監訳・門野良典訳「ドメニコ・スカルラッティ」(音楽之友社)P98-99
ドメニコは、天衣無縫の人だったように見える。そういう人間の創造力というのは得てして並大抵ではないようだ。一方で、彼はギャンブル狂で、ロンドン滞在中に莫大な借金を拵えたためポルトガルに行くことになったという説もあるくらいだから、凡人には計り知れないほどの奔放さも併せ持っていたのだろう。でないと、あれほどの革新的なソナタを、(当時まだなかった)ピアノという楽器で演奏しても遜色のない作品を生み出すなど不可能なことだ。
ドメニコ・スカルラッティのソナタを再発見したのはウラディーミル・ホロヴィッツだったのか、それともワンダ・ランドフスカだったのか。何にせよ、スカルラッティの名を世間に知らしめた彼らの功績は大きい。
個人的にはピアノでの演奏を好む。
しかし、スコット・ロスの弾くチェンバロでの典雅な演奏も、それはそれで捨て難い。
確かに学究的な色合いが強い分、どこか堅苦しさを免れないが、それでも可憐な、美しいソナタ演奏を前にして、(遅々として進まぬ全集ボックスを前にして)恍惚とならざるを得ない。
中で最長(6分43秒)のト長調Kk104(L442/P109)の速度指定はアレグロだが、この軽快な、香気溢れる音楽は、遠く離れた異郷の地で見た、感じた風景が、幼少の頃の記憶の断片を喚起したことにより発せられたものなのかどうなのか。
初めてヘラクレスの柱の向こう側へと冒険する中で、ドメニコは幼年時代に自身の周辺に残っていたシチリアの先祖やサラセンの痕跡へのつながりを再発見する自分を眺めていた。ポルトガルでは歌はもっと大げさで耳障りで、どことなく奇妙な憂鬱さを漂わせていた。
~同上書P83
異質のものから刺激を受け、自身の裡で昇華できる才能は、天才のそれ。
海や、遠くインドやアフリカから来航した外国人のエキゾチズムが彼に与えた影響は実に大きかった。どんな理由であれ、ドメニコがポルトガルの大地を踏めたことは幸運だった。
スカルラッティの音楽には融合がある。だから普遍的なのだ。
そしてまた、スコット・ロスの命を賭けた全曲演奏の躍動感。完璧だ。