プライ クラウゼ マクラッケン ニルソン マゼール指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」(1964.3録音)

思考の断捨離が大切だ。
一人一人が思念に執着せず、常にゼロの視点で物事を考え、生み出すことができたら世界は真に変化して行くだろう。

古い家にはどこも何かしら文化の伝統が刻まれているこの街をそぞろ歩くのは楽しい。「ここにベートーヴェンが住んでいた」という看板をよく見かけるが、彼は腰の落ち着かない人だったに違いない。それともひょっとして家賃が払えなかったのだろうか?
ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P212

俗世間の観点からは間違いなくニルソンの想像通りだ。しかし、果たしてベートーヴェンが引越魔であった理由は他にあったのではなかろうか。

ベートーヴェンはウイーンに住み着いてからもカントのことは決して忘れていない。自然をこよなく愛したベートーヴェンは天体宇宙にも興味があったようで、既述のカント著「天界の一般自然史と理論」(die allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels Zeits, 1798)が彼の遺品の中から発見された。歴史家である阿部謹也氏の言葉を借りると、“カントは生涯小都市ケーニヒスベルクを離れなかったが、常に宇宙に目を向け、・・・プロイセンというラント(州)を超え、ドイツという民族を超えて宇宙へと飛翔していったのである”。
1820年の会話帳にベートーヴェンが書いたカントの言葉①と、同席していた音楽美術研究者ヴェーナ(F.Wähner, 1786-1839)が哲学一般について記した文章②を紹介する。
(ベートーヴェンが書きつけた文は下記の太字部分のみだが、このカントの文章は、非常に有名なのでその前の文章も記載する)

① ここに二つのものがある、それは、我々がそのものを思念すること長くかつしばしばなるにつれて、つねにいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私の内なる道徳的法則である。
② 哲学と音楽は生きながらえなければならない。プラトンを読まないといけません、是非とも、私がお持ちしますから。

藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P298

宇宙の根源と命とがつながっていた、否、同一のものであったことをベートーヴェンはすでに悟っていたのかどうなのか。想像するに実に興味深い。

・ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」作品72
ヘルマン・プライ(ドン・フェルナンド、バリトン)
トム・クラウゼ(ドン・ピツァロ、バリトン)
ジェームズ・マクラッケン(フロレスタン、テノール)
ビルギット・ニルソン(レオノーレ、ソプラノ)
クルト・ベーメ(ロッコ、バス)
グラツィエラ・シュッティ(マルツェリーネ、ソプラノ)
ドナルド・グローベ(ヤキーノ、テノール)
クルト・エクウィルツ(第1の囚人、テノール)
ギュンター・アダム(第2の囚人、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1964.3.2-5, 11-15 &6.17録音)

原「レオノーレ」から「フィデリオ」に至る創作過程は、ベートーヴェンのある意味「断捨離」的思考の成せる業だ。ニルソンのレオノーレもマクラッケンのフロレスタンも素晴らしいけれど、何よりプライのドン・フェルナンドが出色か。このマゼール盤には、僕たちの耳に馴染んでいる第2幕フィナーレの間奏曲としての「レオノーレ序曲」は使用されていない。文字通り歌劇「フィデリオ」の原典としての理想的な演奏がここにある(個人的には僕の誕生日を挟んで録音されているところにシンパシーを感じるだけなんだけれど、笑)。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む