ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ パレストリーナ 聖母被昇天のミサほか(1989録音)

人生に必要なのは、悟りではなく迷いだと思います。「沈黙」を読んだのは10代の頃ですが、今もなお往々にして思い出すことがあります。その度、ここに描かれた「葛藤」が鮮烈に甦るのです。

ピース又吉は、遠藤周作の「沈黙」についてそう書く。
確かに迷いがあっての悟りだろう。それには「悟ること」が人生の真の目的であることに気づかなければならない。

かつて人類はまさしくそれを求めた。聖職者であろうと、俗人であろうと、皆それを求めた。
信仰を失った現代人は果たしていかに?
地球を脅かす目に見えない敵は、地球が人類の目覚めのために、僕たちの意識の改革、否、回復のために送り込んだ救世主であったりはしないのか。

つまるところ、自然は神が創造したものなのだ。もし、自然の宇宙に関する根本的な真理を誰かが発見したとすれば、それは神の御業をいっそう明らかにするものだろう。そして、それを発見した者がキリスト教徒であるか異教徒であるか、アウグスティヌスのような人物であるかアリストテレスに類する人物であるかは、たいした問題ではないだろう。
リチャード・E.ルーベンスタイン著/小沢千重子訳「中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ」(紀伊國屋書店)P138

何事もカテゴライズしたがるのが人間だ。しかし、そもそも真理に範疇はない。
ただ、信じることと祈ることのみがそこにあるのだろうと僕は思う。

・グレゴリオ聖歌「アスンプタ・エスト・マリア(マリアは天に昇らされたまいぬ)」
パレストリーナ:
・モテトゥス「アスンプタ・エスト・マリア(マリアは天に昇らされたまいぬ)」
・ミサ曲「アスンプタ・エスト・マリア(マリアは天に昇らされたまいぬ)」
・モテトゥス「シクト・リリウム(いばらの中のゆとりのごとし)」
・ミサ曲「シクト・リリウム(いばらの中のゆとりのごとし)」
ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ(1989録音)

中世の時代、教会の音楽が複雑化し、歌詞が聞き取れないほどのものになっていったという。そして、16世紀の半ば、トリエントの公会議で過剰なポリフォニー音楽が禁止されるに及ぶ。それによって、より簡潔でありながら美しい音楽が求められたのである。
中で、最大の作曲家は、ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナだ。彼の作品は、文字通り簡素な、そしてポリフォニックな音楽の宝庫。すべてがあまりに美しい。

繊細なポリフォニーと絶妙なハーモニー。そして、透明な響き。
ここでのタリス・スコラーズの歌には力がある。
とても人間が生み出したものとは思えない力がある。聴いていて涙が出るのだから。

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