
晩年のベートーヴェンの動向。
会話帖や書簡や、楽聖の強度の耳疾のおかげで(?)僕たちは200年前の様子を比較的容易につかむことができることが嬉しい。
それにしても1823年から24年にかけての、《第九》、《ディアベリ変奏曲》、そして《ミサ・ソレムニス》と、人類史上最大の傑作群が生み出されるという(大袈裟だけれど)奇蹟。
しかし、当の本人は未来のことなど予想することもなく、生きるための糧を得るための出版社との交渉、あるいは、ピアノ教師としての仕事など多忙を極める。
あなたはシンフォニーをまず受け取ります。・・・また2-3週間のうちに新しい33変奏曲(ワルツの主題による)を受け取りますが、あなたの奥さんに捧げます。
(1823年4月25日付、フェルディナント・リース宛)
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P421
同年4月30日には、この日の日付で献呈筆写譜
「33ワルツによる変奏曲、私の愛する友人リース夫人に捧ぐ、LvB、ヴィーン」
そして、同年6月16日 (出版公告)カッピ&ディアベッリ社では、この変奏曲はアントーニエ・ブレンターノに献呈されることが告知されている。
ちなみに、同年7月16日付、リース宛書簡では次のようにある。
いま変奏曲はおそらくそこにあるでしょう。あなたの奥さんへの献呈の辞は、彼女の名前を知らないので、自分では書けませんでした・・・
~同上書P425
名前を知らなかったことはおそらく直接の理由ではなく、ベートーヴェンの言い訳に過ぎないだろう。大崎さんは以下のように注釈する。
作品120のイギリス版はリース夫人に献呈されるははずだった。
その出版はリースの仲介が功を奏し成功しかけるが、6月にはすでにディアベッリ版がイギリスに到着。「ハルモニコン」誌1(1823)に「ヴィーンで出版されたばかり」と告知が出て、出版交渉中であったブージー社は関心を失う(1824年後半に第1と第17変奏のみ出版)。
~同上書P425
出版にまつわる駆け引きが興味深い。
ディアベリ変奏曲を聴いた。
ベートーヴェンによると陳腐なアントン・ディアベリによる主題が、分解、止揚、昇華され、深遠な33の変奏曲を伴なって奏される、ピアノ音楽史上最大の傑作の一つが、クラウディオ・アラウによって透明な、そして高尚な喜びの音楽として再生される様子に言葉がない。
・ベートーヴェン:アントン・ディアベリのワルツによる33の変奏曲ハ長調作品120
クラウディオ・アラウ(ピアノ)(1985.4.3-7録音)
ベートーヴェンは推敲を重ね(現実には《第九》や《ミサ・ソレムニス》の完成に向け四苦八苦していたこともある)、この作品を53歳のときに完成させた。僕もその年齢をとうに越えたが、今、ようやく音楽の真意がつかめ、神髄が理解できるようになった。
アナトール・ウゴルスキ盤の天国的な(かつデモーニッシュな)演奏も素晴らしい。一方、いかにも現世的な、人間的な情緒を刻印するこのクラウディオ・アラウ盤も座右の音盤として僕のそばに鎮座する。
夢心地の30の変奏を経て、第31変奏ラルゴ,モルト・エスプレッシーヴォの天上の世界を思わせる可憐な安寧、さらには第32変奏フーガ(アレグロ—ポコ・アダージョ)の完成された(閉じられた)ミクロ世界ながら外へと広がる(開かれた)マクロ世界の共生に崇高なるベートーヴェンの境地の高さを思う。
最終変奏テンポ・ディ・メヌエット・モデラートの静謐さ(俗っぽい冒頭主題がここに昇華される様に感動)。いよいよベートーヴェンは楽聖になった。
1770年12月17日、聖レミギウス教会にて受洗。