クリュイタンス指揮パリ音楽院管 ベルリオーズ 幻想交響曲(1964.5.10Live)

ベルリオーズの「幻想交響曲」は確かに超名曲だ。
しかし、よほどの超絶的名演奏でないと感動しない超難曲であるとも僕は思う。

ベルリオーズは変人だ。いや、気狂いかもしれない。
よくもあの時代に、あのように大それた作品を世に問うことができたと感心する。だからやっぱり、天才なのだろう。彼にこそ、創作時の霊感について聴きたいくらい。

私はしばしば自問自答していた。ある人びとが音楽にとらわれているのは、彼らがばかだからなのか、それとも音楽が彼らをばかにしたのか? 公正に考えた結果、私はこのような結論に達した―音楽は恋愛のような荒々しい情熱である。すなわち、音楽のせいで理性的な個人が一見理性を失ったかのようになってしまうことがある。しかしその大脳の混乱はただ突発的なものであり、その人たちの理性はその支配力をすぐに取り戻す。つまり、次のようなことが証明されるにとどまるのだ。くだんの混乱は究極の興奮ではなく、知的さと繊細さの特異な発達でもないのだと・・・。
エクトル・ベルリオーズ/森佳子訳「音楽のグロテスク」(青弓社)P46-47

ほとんど自己弁護のようなエッセイだが、的は射ているように思う。
ベルリオーズは、突発的恍惚状態で「幻想」を書いた。(ブラームスのいう)高次の宇宙的霊気との一体の中で、一見理性を失ったかのようにあの夢幻の音楽を生み出したのである。天才の作品は、否、気狂いの作品は、天才、あるいは気狂いでなければ正統に再生できないだろう。

アンドレ・クリュイタンスの最初で最後の来日公演の記録。宇野功芳氏をして「稀代の名演」「生きたライヴ演奏の記録」と言わしめた猛烈、怒涛の、しかし、洒脱で都会的センス満点の「幻想交響曲」。

・ベルリオーズ:幻想交響曲作品14
・ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」より「古い城」
・ビゼー:「アルルの女」第2組曲より「ファランドール」
アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(1964.5.10Live)

1961年竣工の、上野は、東京文化会館での実況録音。
演奏中の息を凝らす観客の緊張感と、終演後の熱狂的な拍手喝采が、音楽ファンにとって待ちに待った特別なコンサートの一コマであったことを想像させてくれる。
クリュイタンスの棒は、終始一貫して熱い。音楽は無理なく、しかし、ベルリオーズの意図した通り、エクスタシー状態を保ち、前のめりに進行する。特に、第4楽章「断頭台への行進」から終楽章「ワルプルギスの夜の夢」に至る音楽の、勢いと迫真は言語を絶するもので、その場に居合わせた聴衆は間違いなく卒倒したことだろう。
56年前の空気感までもが伝わる素晴らしい演奏記録だ。

人気ブログランキング


2 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。このCDを聴いてみました。
クリュイタンスは私にとりましては(子供の時の刷り込みが影響して)ベートーヴェンの「運命」の不動の一位指揮者なので、フランス音楽のエスプリとか体現者とかと聴くたびに、嫉妬を感じまして反抗的になり、クリュイタンスのフランス音楽を聴きたいと思いませんでしたが、このCDを聴き、「この演奏を聴いた日本の音楽関係者は、いつになったら日本がこのレベルに到達するのかと絶望的になった」と言われていたことの意味が分かったような気になりました。パリ音楽院管弦楽団がとてつもなくうまいのか、クリュイタンスの指揮棒がすごいのか、どちらもなんでしょう。「運命」のクリュイタンスと同じ人とは思えないほどの激しさです。でも品の良さは共通しているかもしれません。そのクリュイタンスの急死と共にオーケストラも解散となり、その伝統は途絶えた、と聞きました。残念なことです。
 「幻想交響曲」を改めて聴くと、ロマン派のなんたるかを思い知らされました…ベルリオーズがパリ音楽院菅の演奏するベートーヴェンの「英雄」を聴いて感激し、触発されて作曲したと言われていますが、そうとはとても思えないほどぶっ飛んでいる気がします。女優ハリエット・スミッソンへの恋心が高じて大脳が混乱状態に陥り、その霊感を戻ってきた理性が捕まえてこのような交響曲ができた、ということでしょうか。ブラームスの言と似ているようですが、大脳の興奮が半端ではありません。本当に狂気と紙一重の人のようです。ベルリオーズは文学への思い入れが激しく、そこからインスピレーションを得た曲をたくさん作っているようなので、さらにロマン的になるのでしょうか。
いつも得難い追体験をさせていただき、ありがとうございます。

返信する
岡本 浩和

>桜成 裕子 様

この演奏は本当に素晴らしいですよね。
幻想交響曲は昔聴き過ぎたせいか(?)、最近では余程の名演奏でない限りあまり面白いと思うことがなくなり、ほとんど聴くことはないのですが、このクリュイタンスの来日公演は別格だと思います。
おっしゃるように「大脳の興奮」が半端ないと僕も思うのです。
ベルリオーズは、たぶん「気狂い」なのだとやっぱり思います(もちろん音楽的技量を兼ね備えての)。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む