
読書家であり、また蒐集家であったヨハネス・ブラームスは、ゲーテの「色彩論」を愛読した。ブラームスはその書の中の次の言葉にアンダーラインを引いていたそうだ。
われわれは何も知らないから、創造的になれるのである。
実に含蓄に富む言葉でありブラームスの創造の秘密がこの短い文章からも容易に想像できそうだ。実際、ゲーテの宇宙的全体観と、博物的興味の360度的拡がりに驚くばかりで、「色彩論」からは万物創生のヒント、智慧や慈悲の心までもが垣間見え、興味深い。
ゲーテは「結びのことば」に次のように書く。
興味・偶然あるいは機会に導かれて人間がたとえどの分野へ進もうとも、いかなる現象が得に彼の注意を引き、彼の関心を呼びさまし、彼を研究に専念させようとも、それは科学に裨益するであろう。なぜなら、明るみ出されたいかなる新しい関係も、いかなる新しい研究方法も、不充分なものも、誤謬でさえも役に立つか刺激となり、将来のためにむだにはならないからである。
~ゲーテ/木村直司訳「色彩論」(ちくま学芸文庫)P426
まさに「好生の徳」ともいうべき、すべてが必然にして必要だという心構えがゲーテの神髄だろう。
この意味で著者は多少とも心を安んじて自分の仕事を振り返ってみたいと思う。このような考察をすることによって著者は、しのこしたことに対する勇気をふるい起こし、自分自身に満足していないにしても心の中で自信をもって、これまでの成果とこれからなすべきことを、現在および後世の同じ関心を有するすべての人々に推賞することができるのである。
多くの者が生を享けて過ぎゆき、知識はいやまさん。
(Multi pertransibnt et augebitur Scientia.)
~同上書P426-427
何という謙虚さ!
僕は、ブラームスの最晩年の作品群に、同様の謙虚さと、また自負と自信を感じる。
アルバン・ベルク四重奏団による弦楽五重奏曲ト長調作品111が素晴らしい。
いずれもウィーン・コンツェルトハウスはモーツァルトザールでの実況録音。
内声部の充実したブラームスの室内楽は、どちらかと内向的で重厚な印象を与えるが、アルバン・ベルク四重奏団の演奏は、実に開放的で明朗、何より軽い。ライヴの多少の瑕など何のその、音楽の勢いと生命力のほとばしりに目が(耳が?)眩む。
そして、ここには晩年のブラームスの希望がある。作曲家の創造物とは、諦念や悔恨や、そんな人間的感情を超えて、まさに天とつながる楽観の賜物なのだろうと思わせる希望がある。