カエターニ指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響 ショスタコーヴィチ 第11番「1905年」(2003.3Live)

ドミトリー・ショスタコーヴィチの作品は、何もかもが重い。
まるでヘヴィー・メタルのようだ。

ロディオン・シチェドリンは次のように証言する。

彼の音楽には残虐な行為や俗物的な安逸に対する強烈な抗議の声が満ちみちている。そして同時にその音楽は、つねに人間への賛歌であり、その英知と善良さへの賛美である。
「ショスタコーヴィチ大研究」(春秋社)P17

僕たち人間が抱えるあらゆる業をまるで一掴みにして包括し、それを排出せんと力づくで(?)開放する様よ。人間というものを土台にしたショスタコーヴィチの音楽は、この世界に人間が存在する以上決して廃れることはないだろう。
あるいは、ダヴィッド・オイストラフの言葉。

ショスタコーヴィチの新作を知るたびに、私は彼の音楽に対する愛と、彼の独自な形象の世界に対する尊敬と、彼の革新者的な発見に、ますます飲み込まれていった。彼のどの作品にも、芸術を前進させ、人間の精神生活を豊かにさせ、人間の美的地平を広げる、新しい核が含まれている。
~同上書P16

これほどの、手放しの賞讃は、その音楽を具に聴けば即座に納得できるもの。思念こそすべてだと僕は思う。

オレグ・カエターニ指揮するショスタコーヴィチの交響曲全集は、どれもが見事な人間讃歌の賜物だ。特に、終楽章「警鐘」(アレグロ・ノン・トロッポ)最後の鐘の何という臨場感!ここで作曲者の思いカルマは清算され、ついに解放されるかのように軽くなる。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第11番ト短調作品103「1905年」(1957)
オレグ・カエターニ指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団(2003.3Live)

全編にわたる激しい慟哭と、時折見せる祈りの静けさに、体制への抗議と、人間の尊厳への大いなる敬意が表される。何よりカエターニは入魂、音楽に没頭し、ショスタコーヴィチの信念を抉り出し、聴衆に圧倒的感動をもたらすのだ。

5年前、都響定期で聴いた演奏が懐かしい。
初めて触れたカエターニの演奏は、精緻で、熱量半端のない名演奏だった。

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