彼は1日の多くの時間を費やして仕事をしていました。そして私は、ある日彼の別荘の近くを通った夕べのひとときを忘れることができません。深い黄昏でした。窓辺に緑色の笠のランプが灯っていました。その光は、張りつめて仕事をするドミトリー=ドミトリエヴィチを照らし出していたのです。
(エフゲニー・ムラヴィンスキー)
~V.S.グリゴローヴィチ「ショスタコーヴィチ&ムラヴィンスキー 時間の終わりに」(アイエスアイ)P14
ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの固い絆がうかがえるエピソードだ。
ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーは分かち難い関係にありました。私にとって、彼らはすべてを超えた存在なのです。
(ウラジミル・セミョーノヴィチ・グリゴローヴィチ)
~同上書
稀代の天才二人が生み出した音楽の神々しさよ。
ショスタコーヴィチがムラヴィンスキーに捧げた交響曲第8番。
赤軍の勝利にかかわる喜ばしいニュースの影響がないはずはない。多くの内的な、また悲劇的、ドラマティックな葛藤があるが、全体としては楽観主義的な、人生肯定的な作品である。
(「文学と芸術」1943年9月18日号)
~PROA-31ライナーノーツ
批判を避けるための口から出た出まかせか、はたまた例の二枚舌か、もしこれが真実なら、果たしてこの音楽をどのように聴いて、どうとらえるべきか。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調作品65(1943)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(1982.3.28Live)
長大な第1楽章は、冒頭からあまりに悲劇的。人生は悲劇だと想定しての肯定だというなら確かに人生肯定的な作品だと言えるが、その音調は暗く重い。ただし、ムラヴィンスキーの切れ味鋭い指揮を聴くのなら、これを凌ぐ幸福感に溢れる演奏はないかもしれぬ。
相変らず強烈な第3楽章アレグロ・ノン・トロッポの奇蹟。中間のトランペットの剽軽なギャラップが何と悲しく響くことか。凶暴な第4楽章冒頭から静寂なラルゴへの移行、そして、寛大な終楽章の明朗な魔法にショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの見事な共同作業をあらためて思う。名演奏だ。