農民の歌あり、無調の音楽あり、後期ロマン派風音楽あり、あらゆる様式を雛形に、彼は独自の世界を創り上げていった。
僕は、ちょうどバルトークの音楽のことを考えていた。
知的で数学的、いかにも緻密な構成に、独自の民謡風エッセンス。
他の誰にも真似のできない孤高の世界。
その様に長年モヤモヤしていたバルトークに対する私の想いを払拭してくれたのが、数年前に購入したピアノ・ソナタの自筆譜だった。ところどころグチャグチャに消されているアイディアや、五線紙からはみ出して5線を手書きで継ぎ足して書かれている音符たちを見て、フレーズやリズムは、この音符たちにはとても書ききれないものであると確信した。
~DCJA-21045ライナーノーツ
井出久美子の解説を読んで、僕は膝を打った。
本来音楽とは表記不能の芸術なのである。楽想の、作曲者の頭の中で鳴っているすべての音楽を記すことなどできないのである。
バルトークの音楽には独特のエキゾチズムが潜む。ハンガリー魂とでもいうのか、抑圧から解放されんとする内なる力が神々しい。また、井出久美子の演奏を聴いて、日本人のセンスに感化されることで、エキゾチズムなるものが拡張され、バルトークの音楽を一層親しみやすいものに変貌されることを僕は知った(ジャケット・デザインが侘び寂のセンスを代弁するかのよう)。
ピアノは、バルトークの手足となる、否、思考を表現するための最大のツールだった。その彼が、楽譜とはかけ離れた、即興的で柔和な演奏を繰り広げるのだから、井出の驚きもよく理解できる。バルトークは頭脳派だったが、(少なくとも創造行為において)決して融通の利かない人ではなかった。むしろ、すべてが土壌に密接な、官能の音楽を、より自由な想像力を伴う音楽を世に問い続けた人だった。
このアルバムに収録された作品は、どれもが心のこもったものだ。もちろんそこには井出久美子のバルトークへのただならぬ愛情が刻印される。
ピアノ・ソナタが名曲だ。
あらゆるイディオムを昇華し、その上で、いかにも全盛期のバルトークの革新を見事に表現する3つの楽章。第1楽章アレグロ・モデラートは、真昼の音楽だ。陽の気の醍醐味。一方、第2楽章ソステヌート・エ・ペザンテはまるで静かな夜の音楽。暗澹たる陰の象徴が、そう、月の光が煌々と照らされる湖の如く、音楽は静かに、しかし、微細な動きをもって流れる。そして、第3楽章アレグロ・モルトの舞踏の奔放さに感涙。
ベラ・バルトークの素朴な心。
赤子の心に還り、井出久美子は彼の魂と一体になり、音楽を表現する。
すべてが美しい。