ベーム指揮ウィーン国立歌劇場管 R.シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」(1944.6.11Live)

成立まで二転三転、紆余曲折を経ての最終成果。
この歌劇が劇中劇である点が興味深い。
世界が喜劇であることをベートーヴェンは見抜いていたが、リヒャルト・シュトラウスも結局はシステムの不条理さを悟っていた天才なのだと思う。
主人公が、18世紀前半のウィーンの資産家であることがまた物語に箔をつける。作曲家はモーツァルトがモデルとされるが、崇高さと俗っぽさが入り乱れつつも、音楽が人々に与える感銘を、音楽こそが世界の不条理を救う手段なのだと言わんばかりに、いざこざをドラマに取り込む奔放さ。ホーフマンスタールとシュトラウスの絶妙なコンビネーションが、結果的に世界の本質を描き尽くす傑作を生んだのだといえよう。

戦時中のカール・ベームの勇猛な、活気に溢れる演奏に僕は膝を打つ。
彼は、リヒャルト・シュトラウスの音楽に惚れていた。中でも「アリアドネ」への異常なほどの愛(?)。音楽はどの瞬間も躍動的だ。

・リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ナクソス島のアリアドネ」作品60
マリア・ライニング(プリマドンナ/アリアドネ、ソプラノ)
イルムガルト・ゼーフリート(作曲家、ソプラノ)
アルダ・ノニ(ツェルビネッタ、ソプラノ)
マックス・ローレンツ(テノール歌手/バッカス、テノール)
パウル・シェフラー(音楽教師、バリトン)
アルフレート・ムッツァレッリ(執事長、台詞)
フリードリヒ・イェリネック(将校)
ヨーゼフ・ヴィット(舞踏教師、テノール)
ヘルマン・バイアー(かつら師、バリトン)
ハンス・シュヴァイガー(下僕、バス)
エーリヒ・クンツ(ハルレキン、バリトン)
リヒャルト・ザッラバ(スカラムッチョ、テノール)
マルヤン・ルス(トルファルディン、バス)
ペーター・クライン(ブリゲッラ、テノール)
エミー・ルーズ(水の精ナヤーデ、ソプラノ)
メラニー・フルツシュニック(木の精ドリアーデ、アルト)
エリーザベト・ルトガース(山彦エコー、ソプラノ)
カール・ベーム指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(1944.6.11Live)

ウィーン国立歌劇場からの実況録音。
戦時中とは思えない生気、というか、有事だからこその緊張感と危機感が刻まれる、一期一会の「アリアドネ」。
かの悲劇伝説に、道化芝居を挿入し、さらに、シュトラウスの室内楽的な、美しい音楽を付してのオペラ・パートの透明さと、それゆえの純粋無垢さ(空)に僕は感動する。
マリア・ライニングのアリアドネが圧巻。例えば、死の国を憧憬するモノローグ「すべてが清らかな国がある」の確信的明朗さ。声の伸びが素晴らしい!
そして、ツェルビネッタを謳うアルダ・ノニの(超難曲とされる)アリア「偉大なる王女様」の可憐な、情感のこもった、わずかな心の機微までもとらえた歌唱にもため息が出る。

変身はまさに生命そのものであり、創造的なる自然の本来の神秘なのです。固執とは硬直と死です。生きようと思う者は、自らを越え変身しなければなりません。つまり忘れなくてはなりません。しかるに、固執、忘れないこと、誠実にこそ、あらゆる人間の尊厳が結びついているのです。これは測り知れぬ深い矛盾のひとつであり、私たちの存在はこの矛盾の上に築かれているのです。
(1912年10月、ホーフマンスタールからシュトラウス宛公開書簡)
スタンダード・オペラ鑑賞ブック3「ドイツ・オペラ上」(音楽之友社)P220

陰陽二元世界の矛盾を感知するホーフマンスタールの天才あっての「アリアドネ」。道化を通してアリアドネがいわば覚醒する様を表現するホーフマンスタールの発案にリヒャルト・シュトラウスの音楽的才能が結びついたときの絶対美。アリアドネとバッカス(マックス・ローレンツ)による最後の長大な二重唱が何と生々しいのだろう。そして、(古い録音を超え)カール・ベーム指揮するウィーン国立歌劇場管弦楽団の、クライマックスを築く音響波動砲の悶絶(外の世界は世界大戦中なのだ!)。

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