フルトヴェングラーのブルックナー

bruckner_7_furtwangler_bpo.jpgかねてより朝比奈隆のブルックナー演奏を絶対視していた僕にとって、フルトヴェングラーのブルックナーはどうにもこうにも「せせこましく」、スケールが小さく、性に合わないと思い込んでいる節があった。初めて聴いた音盤は、ロンドン・レーベルから出ていた第4番「ロマンティック」。いわゆる改訂版の演奏だが、高校生当時は無知で、版の問題などまったく気にせず好んで聴いていた。しかし、いつだったかブルックナーには「原典版」というものが存在し、作曲者の真実を聴くにはオリジナルで聴かなければ話にならないことを何かしらで知り、特に、当時発売されたばかりのクーベリックの演奏を聴いて以降はまったく耳にすることがなくなった。

フルトヴェングラーに心酔していた僕は、もちろん一通り彼の指揮によるブルックナーの音盤は手に入れた。「レコード芸術」誌上での、ブルックナーの特集記事でだったか、漫画家の砂川しげひさ氏がフルトヴェングラーの第7交響曲(EMI盤)を絶賛されていた記事を読み、興味本位ながらあまり期待せずに当時流行りのブライトクランク盤を購入してみたものの、やっぱりまったく気に入らず、その後長らくお蔵入りした。

先日のインバルの第6交響曲に触発されてか、否、その前々日に聴いたフルトヴェングラーの戦時中の演奏に感化されたようで、久しぶりにそのブライトクランク盤(こちらはCD化されたもの)を取り出して、本当に十何年ぶりかに真面目に聴いてみた。

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(原典版)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1949.10.18Live)

確かに今となっては「音質の貧しさ」が致命的。でも、目前でフルトヴェングラーが演奏している姿を半ば空想、意識の焦点をぼかして聴いてみると、これほどリアルで、生々しい音楽表現があろうかと一瞬耳を疑う。ものすごい「人間ドラマ」がここにはあり、聖なる衣を纏いながら、実に人間臭い俗臭芬々たる田舎者アントンの偏執的性癖が見事に投影されているよう(笑)。その表現の正誤、好き嫌いはともかくとして、砂川氏が絶賛したフルトヴェングラーのこの演奏の真価ここにありという感じ、あらためて見直した。

第2楽章が素敵。第1主題の神々しいまでの響きの拡がり。そして第2主題のあくまで人間的な哀愁感。彼方と此方を往来する、心猿意馬をつなぐが如くの対比。クライマックスでの打楽器の強打で覚醒する。

フィナーレの、あくまで内側への「拡散」。スケールが小さいといえばそれまでだが、これは人間的「集中」なのである。喜びがあり、哀しみもあり、あらゆる感情がこの音楽の中で霧散する。

早朝、秩父の「吉田元気村」に向かう。まる一日かけて「スポコレ・ワークショップwith TAG RUGBY」。参加された皆さんは一様に素直で前向き。人と人とが織り成す温かいひとときを体感し、目の前の「真実」を直接に受け容れることが重要だと再確認。よい研修になった。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私がまだ20代前半だった1988年ころ、リヒテルのリサイタルを楽しむことが出来なかったわけですが、
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-588/#comments
そのころは、ヴァントやクナ、朝比奈、ケンペといった巨匠指揮者によるブルックナーに心酔しており、これこそ「人類の至宝」であり、フルトヴェングラーの人間臭いブルックナーは蔑んで斜眼視しておりました。
また、モーツァルトとブルックナーの音楽に比べたら、どんな作曲家の作品も一段以上落ちると信じきっていました・・・。
私はアマ・オケでヴィオラこそ弾いていましたが、典型的なクラヲタで、ご多分にもれず、「イスラム原理主義」のような「バカの壁」を心の中に作っていました。
でも、その「価値観の核」自体は、それでいいんです!!
私が岡本さんのブログを読み始めてからも不変なのは、やはり岡本さん同様「ぶれない自分軸」です。ただ、自分軸を、地球の直径以上である、15,000Kmよりも太くすることを目指しているのです。心の中でなら可能でしょ! 
ですから、フルトヴェングラーや現在のインバルのブルックナーを好きになったとしても、何も矛盾しないでしょ!(笑) てゆーか、先日のインバル指揮のライヴにしたって、マーラー指揮者のブルックナー解釈がどんなものになるか、聴く前から想像付くのに、わざわざ忙しい自分の貴重な時間を割いて、インバルのコンサートに足を運ぶからには、蔑んで「バカの壁」を作ってそこから何も学ばないのは損だと、今の私なら考えますし、岡本さんも私と同意見なんだと思います。
昨日は、名古屋グランパスの最終戦を息子と観戦しました。
http://nagoya-grampus.jp/information/misc/2010/12042010j1-2.php
勝って有終の美をかざり、最高でした。今年感動で泣いたのは、グランパスの優勝と、愛知とし子さんのコンサートだけだったなあ。
今シーズンの名古屋のJリーグの成績、23勝8敗3分で優勝、これでいいんです。乗りに乗ってぶっちぎりの楽勝の試合もあれば、ボロ負けの試合もある・・・、サッカーやプロ野球の優勝チームだって、ゴルフの石川遼だって、そんなものです。みんな人間のやることですから・・・。
クラシック・マニアは、たった一回のコンサートを聴いただけで、気に入らなきゃその演奏家の人間性まで否定しようとする、愚かで「醜い」心の人間になりがちだと自戒します。
自分軸を太くしたいものです。

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雅之

失礼、失礼、1988年のころ、私はすでに26歳で、20代後半でした。
インバルについては、彼の名誉のためにも、我々と似た「過激なブルックナー原理主義者」である(であった)、許光俊さんの今年1月、HMVへのコラムを、再度ご紹介しておきましょう。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1001040040/

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>自分軸を、地球の直径以上である、15,000Kmよりも太くすることを目指しているのです。心の中でなら可能でしょ! 
確かに、軸を太くするという発想は素晴らしいですね。
僕も見習います。僕もここのところおっしゃるとおりの心境になっております。ありがとうございます。
>今年感動で泣いたのは、グランパスの優勝と、愛知とし子さんのコンサートだけだったなあ。
ほんとですか!お世辞でもありがとうございます(笑)。
僕も若い頃は雅之さんと同じ道を辿ってました。そう信じ込んでましたが、信じるべきは自身の感性と耳ですね。
>自分軸を太くしたいものです。
僕もがんばります。

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