
胸の張り裂けるような感傷。
生涯をかけて生み出したショパンの数多のマズルカには、喜びも悲しみも、あらゆる心象が刻まれる。楽譜通りに弾くことも決して容易くないのだろうが、重要なことは譜面には書き表せない、その時のショパンの心をどれだけ真に迫って表現できるかだ。
ジャン=マルク・ルイサダのショパン。
変幻自在とはこのことをいうのか、即興的な官能のルバートに、躍るリズム。音楽は当然のように飛翔し、録音を通しても何とリアルに心に響くのだろう。
ショパンにとって「マズルカ」は、自身の心の内を表現する最大の方法だった。
「マズルカ」は彼にとって大切な子どものようだったのだ。
この手紙でぼくは前よりずっと元気になったのがわかると思います。ここでのぼくの健康はまあまあです。すばらしいお天気。明日か、明後日、われわれの善き友ドラクロアが来るはずです。君の泊まった部屋になるでしょう。もう一度ヴィーンの出版商(メヘッティ)にぼくの手紙を送って下さるようお願いします。オーストリア向けの手紙は郵税前払いだと思いますが、デ・ラ・ブーズ広場の郵便局で教わって下さい。小包にはぼくの腹を痛めた原稿(作品50の《マズルカ3曲》)がはいっているし、紛失したりするようなどんな危険にもさらしたくないので、君の好意にすがるしだいです。
(1842年5月31日火曜日付、ノアンのショパンからパリのヴォイチェフ・グジマウァ宛)
~アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P302-303
ジョルジュ・サンドとの恋仲の紆余曲折の中で毎年のように紡がれる「マズルカ」には、孤独の様相もあれば、ふれあいの喜びを発見することもできる。
新しい《マズルカ》3曲(作品63)ができました。これらの曲は古い・・・(文字判読困難)とはわたしは思いませんが、適正な評価を得るには早すぎると思います。何かができたとなると全く正しくやったように思いこむものです。でなくては作曲なんて出来ません。時は最良の検閲の役を演じ、忍耐は最良の教師です。
(1846年10月11日日曜日付、ノアンのショパンよりワルシャワの家族宛)
~同上書P371
天才は時代の一歩も二歩も先を歩く。
ショパンの場合も、世間に受け入れられようがいまいが、自らを信じ、新しい作品を世に送り出そうとした。そういう創造性までをいかに再生するかが演奏者には問われよう。ルイサダのショパンは新しい。否、ひょっとするとショパンも同じように情感を込め、懐かしさを刷り込み、自身の音楽を奏でたのかもしれない。
ちなみに、同じ手紙にはサンドの次のような追伸がある。
親愛なる善き友よ
あなたを愛しています。これはわたしのいつもの繰り返しです。—あなたについてわたしが知っているたった一つの繰り返しです。お返しにわたしを愛して下さい。幸福でありますよう!
~同上書P372
1846年11月1日、ショパンはパリに一人で帰ったという。彼はその後再びノアンの地を踏むことはなかった。嗚呼!!