プロコフィエフの第5シンフォニー

プロコフィエフのシンフォニーというのは平明な第1番を除いてはどうもわかりにくいと昔から敬遠気味だった。いつかも書いたが、小澤征爾が群馬交響楽団を振ってプロコの第5番を演った時も、一応仕事だったこともあり高崎まで足を運んだが、立ち見が出るほどの盛況ぶりだったことを記憶しているだけで、演奏がどうだったとか一切の記憶が抜け落ちているから、余程興味を持ってなかったんだろうと思われる。
しかしながら、彼の音楽は一旦ツボを押さえるとことごとく至高の宝物と化す。とにかく黙ってじっと耳を傾け続けること。理解しようなどと思わなくて良い。そうすればいつの瞬間からか「あ、好きかも」と感じている自分を見出すことだろう。

今月はショスタコーヴィチ周辺の音楽や同時代の音楽をよく聴いている。それもこれも明日のメルニコフのリサイタルに向けての下準備。前日になってようやく思い出したのがプロコフィエフ。ショスタコーヴィチよりも10数歳年長だが、同じくソビエト連邦に(厳密にはロマノフ王朝末期のロシア帝国)生を受け、独自の創作を続けるものの、当局からの強烈なプレッシャーを受け、次第に体制に迎合せざるを得なくなってゆく(この言葉が正しいかどうかは横に置いておく)生きざまについては一考の価値があり、当然この機会にいろいろと聴いてみなけりゃいかんだろうと、取り出した次第。

ということで、彼の7つの交響曲の中で最もポピュラーな第5番を。

プロコフィエフ:
・交響曲第1番ニ長調作品25「古典」
・交響曲第5番変ロ長調作品100
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

ラテン及びスラヴ系の作品を振らせると右に出る者はなかなかいないんじゃないかと思わせるデュトワの棒は真に堂に入る。「古典」交響曲の方は実に可憐で瀟洒で、繰り返し聴けば聴くほどプロコフィエフがあらゆる時代の音楽を研究し尽くし、そのイディオムを自身に取り込み、そして独自の言語としてアウトプットしているということがよくわかり興味深い。ショスタコーヴィチの最初のシンフォニーがマーラーまでの巨大化する音楽(あるいはシベリウスの凝縮された世界)の語法を受け継ぎながらショスタコーヴィチならではの天才性を発揮したものであるのに対し、プロコフィエフのそれはいわば「古きを温ねて新しきを知る」という語法を駆使しての、こちらも天才が横溢する傑作。久しぶりに耳にして、それもショスタコーヴィチと比較してみてそんなことを考えた。
一方の第5交響曲。独ソ戦の最中に作曲が開始され、初演はレニングラードがドイツ軍の包囲から解放された直後にあたるらしい(1945年1月13日)。ショスタコーヴィチが親友ソレルチンスキイの突然の死を悼んで第2ピアノ・トリオを書き、第2弦楽四重奏曲をちょうど書いていた頃である。
第1楽章を聴くと僕はウルトラセブンなどの特撮ものを思い出してしまう(これは勝手な僕の想像だけれど)。決して作曲者本人の中にそういう意図はないだろうが、開放的で勝利の喜びを謳歌する意思を感じるのである(打楽器の使い方が素敵)。
それと、第3楽章アダージョ。決して甘ったるくなく、といって難解で耳を塞ぎたくなるような玄人向け音楽でもない過去を追想するかのような懐かしさを秘めた音楽。そして、フィナーレでは冒頭で第1楽章の主題が回想される(どきっ!)。コーダの打楽器群の活躍も痺れる。
そういえば、小澤はどんな音楽を創っていたのだろう。終演後の熱狂的な拍手喝采だけが脳裏を過る。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

>決して作曲者本人の中にそういう意図はないだろうが、開放的で勝利の喜びを謳歌する意思を感じるのである。

いや、素直に考えればおっしゃるとおりでしょう。プロコフィエフ自身も、
「わたしの第5交響曲は自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美歌の意味を持っている」
などと言っていますし・・・(《プロコフィエフ 自伝/随想集》  セルゲイ プロコフィエフ (著), 田代 薫 (翻訳)  音楽之友社より)。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%95-%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E9%9A%8F%E6%83%B3%E9%9B%86-%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4/dp/4276226619/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1330175357&sr=1-1

デュトワ&MSOのラテン的な演奏で、このプロコの5番や、少し意味合いは異なりますがショスタコの15番を聴くと、何故か『梁塵秘抄』のあの有名な文句が脳裏をよぎります。

・・・・・・遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん。・・・・・・

何と、今年になって初めて買ったCD(さきほど聴き終えたばかりですが、素晴らしい傑作でした)。
http://www.amazon.co.jp/NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%80%8A%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B%E3%80%8B%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF-V/dp/B006482YRY/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1330175999&sr=1-1

遊びをせんとや生れけむ・・・、明日はぜひ充分楽しんできてください!!

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
プロコフィエフについてはあまり詳しくないんです。
ご紹介の自伝も未読ですのでこれはぜひとも読んでみたいと思います。
なるほど「梁塵秘抄」ですか。さすがは雅之さんです。視点の幅が違いますね。

>遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん

真にその通りでございます。

>今年になって初めて買ったCD

なんと!!ますます「悟り」の境地に入られてますね(笑)。僕などはまだまだ煩悩まみれです。
いやしかし、これはひょっとすると大変なサントラかもしれません。少し気になっておりましたが、そうおっしゃるならば聴かねばです。ありがとうございます。

さて、今日はお昼からメルニコフです。楽しんでまいります。

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