ヴァント指揮ケルン放送響 ブルックナー 交響曲第8番(1979.5&6録音)

ブルックナーの作品における構築の巨大な弧線を認識するだけでなく―それだけでもずいぶん時間がかかったのだが―解釈者として落ち着いてそれらを伝達できるようになるまでに、私はずいぶん多くの時間を必要とした。巨大なブロックから成り立っているような彼の交響曲作品に向けて私をほとんど非現実的といえるほどに突き動かしてゆくもの、それは―私がある別の機会に試みた表現でいえば―この音楽における宇宙的な秩序の投影であり、それは人間的な尺度では測りがたいものなのだ。それゆえ、ブルックナーの音楽をこの音楽の創作者と、つまりアントン・ブルックナーという人間と同一視するのは、私にはとても困難である。私が試みているのは、ブルックナーの音楽のこのような背景を、言い換えれば神的な秩序のこのような反映を、明確にさせること、明確に作り上げることである。
ヴォルフガング・ザイフェルト著/根岸一美訳「ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い」(音楽之友社)P257

ギュンター・ヴァントは、ブルックナーには時間がかかったという。
確かにそれはそうだろう。音楽史上、ほとんど突然変異的な存在としてブルックナーはあり、ましてや彼の創造した作品の初稿などは、没後100余年にしてようやく理解されつつあるほど、言語を絶する、一般には到底受け入れがたい(支離滅裂な印象を与える?)ものなのだから。

ブルックナーの交響曲第8番ハ短調は、強烈なエネルギーとパトスを放出する傑作だ(最も完全なと言っても良いだろう)。特に、1970年代の、ケルン放送交響楽団との全集に収録されたものは、一見こじんまりとした造形の中に、晩年のヴァントにはない、熱烈な、人間的な作用が漲る「此岸の音楽」が創出される。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
ギュンター・ヴァント指揮ケルン放送交響楽団(1979.5&6録音)

奇を衒わない、アントン・ブルックナーの常套。
先の彼の言葉通り、神と通ずるブルックナーの創造物を無心に音化しようと試みるヴァントの至芸。この時期にようやく彼はブルックナーをものにしたのだといえる。
第1楽章アレグロ・モデラートの外連味のない、悠久の音楽が素晴らしい。そして、第3楽章アダージョの天国的美しさは後の演奏を凌駕するだけのもの。あるいは、速めのテンポで颯爽と奏される終楽章の安心。すべてにブルックナーの音楽の醍醐味がある。

人が到達しうる最高のことは、音楽を解釈することではなく、理解することなのだ。

この言葉からもわかるように、ギュンター・ヴァントはあくまで自然体の人であった。彼は音楽からできるだけ主観を取り除こうと生涯努力し続けた人だった。だからこそ彼の演奏はいつも素晴らしく、晩年になるにつれ神々しいまでの輝きを放つようになったのだろうと思う。

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