ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管 ブラームス 交響曲第1番(2000.5Live)

真夏のヨハネス・ブラームス。
暑苦しい衣装を纏ったブラームスの音楽は、重厚な表現をもってその本懐とするのが常だが、作曲家存命当時のオーケストラの人数を考えると、弦楽器をできるだけ削ぎ、薄い響きを体現した演奏こそが、本命であるようにも思う。
室内オーケストラによる交響曲第1番ハ短調作品68。

「ベートーヴェンの後期」は生来、ブラームスの内面に備わっているらしく、彼はその作風にどっぷり浸っている。彼は模倣こそしないが、心の奥から創造されたものはベートーヴェンに極めて近く感じられるのだ。
かくしてブラームスの、官能を超越した精神的な表現、美しく広がる旋律、転調における大胆で独創的な試み、ポリフォニックな構成力などについてはもちろん、上記すべてに当てはまる男性的で格調高く、威厳に満ちた全体像は、ベートーヴェンの交響曲様式を偲ばせるのである。

(エドゥアルト・ハンスリックの、1876年12月17日の楽友協会における交響曲第1番のウィーン初演評)
日本ブラームス協会編「ブラームスの『実像』—回想録、交遊録、探訪記にみる作曲家の素顔」(音楽之友社)P12

ハンスリックの賞讃は、ブラームスの才能への絶対的信頼の証しだろう。
脱力のパーヴォ・ベルグルンド。

・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団(2000.5.11-14Live)

バーデン・バーデン・フェスティバルホールでの実況録音。
ハンスリックは初演評の中で、第1楽章を「強烈な感情表現、ファウストの如き苦悩」の表現だとするが、ベルグルンドの解釈はもっと明朗な、希望に満ちたものだ。序奏ウン・ポコ・ソステヌートから軽快で見通しが良い。また、第2楽章アンダンテ・ソステヌートをして、最初の楽章の険しさを和らげる中和剤の役目だとハンスリックはするが、ベルグルンドの、これほど憧憬に満ちた、柔らかい演奏が他にあろうか。
出色は終楽章アダージョ―ピウ・アンダンテ―アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ(ハンスリックは、ここにおいてブラームスは「ベートーヴェンの後期様式」に最接近したとするが、果たしてそこまではどうか?)。

後期ベートーヴェンの精神に触発された(とされる)ブラームスの魂の叫びを汲み取るように、実直に、同時に熱を込めて歌いあげるベルグルンドの棒の驚異。素晴らしいのはコーダにおける盛り上がりと、激烈なティンパニの打撃。
これぞ真夏に相応しい開放的ブラームス。

いまぞ祝わん、心ひとつとせる勝利を信じ、
祝祭のなかのこの祝祭を。
わが友ツァラトゥストラ来たりぬ、この賓客のなかの賓客!
いまぞ世界は笑い、暗鬱の緞帳は裂けて落ち、
光と闇との婚礼の宴ははじまる・・・

「高峰より―後歌―」
信太正三訳/ニーチェ全集11「善悪の彼岸/道徳の系譜」(ちくま学芸文庫)P355-356

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