フロイトがマーラーを診断した時に指摘したのは「母親への固着」。一方のアルマの深層心理には「父親への固着」をみる。要は、お互いがお互いに対して「異性の親」を求めて成立した結婚であったのである。マーラーは奥方に「聖女にして聖母である」ことを求めた反面、ある時は暴君と化し、強烈な嫉妬心やコンプレックスからアルマを抑圧し、彼女に家庭に入ることを徹底的に求めた。いつの時代にもある「男尊女卑」的思想のようなもので、今だったらDV(ドメスティック・バイオレンス)に至ってもおかしくはない関係だった(マーラーがアルマに暴力をふるったかどうかは定かでないが・・・)。
家庭で亭主関白であったマーラーは仕事上においても専制君主であった。しかし、たとえそうだとしても一方で音楽的才能が群を抜いた存在であったゆえどの劇場からも引く手数多で、若い頃から音楽監督として引っ張りだこの生活を送っていたところはさすがといえる。
1890年、30歳のマーラーがハンガリー王立歌劇場監督時代に為した大きな仕事が2つある。一つは12月16日、たまたまブダペストを訪れていたブラームスが観劇する中、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を振って大成功を収め、巨匠から激賞されたこと(後のウィーン宮廷歌劇場監督への足掛かりを作ったことになる)。そして、その10日後にはマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」(同年5月に初演されたばかり!)を振り、こちらも成功を収め、このヴェリズモ・オペラが世界中のオペラ・ハウスの舞台にかけられるきっかけを提供したこと。
マーラーはこのオペラに登場するアルフィオ(恋敵であるトゥリッドゥに決闘を申し出て、トゥリッドゥを殺してしまう)の気持ちが痛いほどよくわかったのかもしれない・・・。
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
アグネス・バルツァ(メゾソプラノ)
プラシド・ドミンゴ(テノール)
コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団
ジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団ほか
男女の恋愛と嫉妬、そして殺人までお目見えする19世紀イタリア、ヴェリズモ(現実主義)・オペラの定番中の定番。特に劇中最後の方で奏される「間奏曲」はことのほか有名で、ラテン的な開放感をもつ歌謡的な美しい旋律は一度聴いたら忘れられない。それにしても1時間少しの1幕もののオペラというのは手軽で良い。夏の暑いこの時期に、「ながら」で聴き流すにはもってこいの音楽である。今は亡きシノーポリの指揮も秀逸。それに何と言ってもバルツァとドミンゴという2大スターの共演が聴きものである。
ところで、8日に名曲喫茶ミニヨンにて開催される「愛知とし子の真夏の夜の夢」の第1曲目は彼女の編曲による「カヴァレリア」の間奏曲。ファーストCD「愛と知と・・・」にも収録され、5月に杉並公会堂でも披露されたがとても美しい仕上がり。
※「カヴァレリア」を聴きながら、隣でまーのがサントゥッツァの歌う「ママも知るとおり」を懐かしそうに聴き笑っている。どうやら大学時代の副科でこの曲を歌う機会があり、前奏を聴いた瞬間、先生が吹き出したのだという。それで一気に緊張してしまい、上手く歌えなかったのだと・・・。音大らしいエピソード。
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