カラヤン指揮フィルハーモニア管のベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」(1958.9録音)を聴いて思ふ

karajan_choral_music_1947-1958712「キリエ」冒頭から別次元。相応しい言葉が見つからないが、強いて言うなら「慈しみの権現」。

ビートルズにブライアン・エプスタインやジョージ・マーティンあったことの如し。
人としての評価は別にして、プロデューサーとしてのウォルター・レッグの先見。カラヤンを見出し、自身が創設したフィルハーモニア管弦楽団に起用したことはおそらく20世紀音楽史のとびきりのトピックスではなかろうか。
特に、キャリアの最初に出会った師の力量は、その後の彼の人生を決めてしまうということがここでも明らか。

ヘルベルト・フォン・カラヤンがフィルハーモニア管弦楽団と録音した「ミサ・ソレムニス」の恍惚。何より極大の、そして全体観のある構成に舌を巻く。例えば、「グローリア」冒頭など、後年のカラヤンと違ってこれでもかというほどに粘る。なるほど、確かにフルトヴェングラーが脅威を感じたことがわかる。

ベートーヴェン:
・ミサ・ソレムニスニ長調作品123
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)
ニコライ・ゲッダ(テノール)
ニコラ・ザッカリア(バス)
ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(1958.9.11-15録音)
・「ああ、不実なる人よ」作品65
・歌劇「フィデリオ」作品72~「人間の屑!・・・希望は捨てない」
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(1954.9.20録音)
・モーツァルト:「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618
ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(1955.7.28録音)
・リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(1956.6.20Live)

レッグの配偶者であったシュヴァルツコップの活躍。さすがに全盛期の彼女の歌唱は類い稀なる輝きを放つ。若きクリスタ・ルートヴィヒの歌も出色。
「ミサ・ソレムニス」の分岐点は、「ベネディクトゥス」の開始を告げる哀しみのヴァイオリン独奏にあると僕は思う。ここは誰にとっても至福の時。当時のフィルハーモニアのコンサート・マスターが誰なのかは知らないが、温かみのある音色に落涙。

カラヤンとは一体何者だったのだろう?
年齢を重ねるにつれ、権力を掌握し、帝王となっていった彼は本当に幸せだったのだろうか?壮年期の名演奏を聴くにつけ、何事においてもワンマンにならないことがベストのように思えてならない。権力など糞喰らえ。それよりも愛。
この「ミサ・ソレムニス」には一生懸命の愛が宿る。

 

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3 COMMENTS

雅之

>年齢を重ねるにつれ、権力を掌握し、帝王となっていった彼は本当に幸せだったのだろうか?

浅いですね。まったくもって岡本様らしからぬナンセンス(笑)。

自分が幸せかどうかの価値観なんて、十人十色、千差万別。その答えは、昔、グレン・グールドやマイケル・ジャクソンについて語り合った時に決着していたはずです(笑)。早い話、岡本様と私とでも吃驚するほど幸せの価値基準の順位に差があるじゃないですか(笑)。

カラヤン「私が幸せだったかどうかなんて、君たちだけには言われたくないね。君たちに何がわかる?(苦笑)」

そう、「今生天皇はお幸せですか?」という愚問以上にナンセンスの極み・・・失礼。

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岡本 浩和

>雅之様

さすがは雅之さん!
予想通りの点を突っ込みいただきありがとうございます。
はい、おっしゃるとおりナンセンスの極みです。

しかし、世間でも取り沙汰される「カラヤンの功罪」について考えながら、あれこれと音盤を聴き漁るうち、たまにはこういう振れた、他人がとやかく言うことではないことに首を突っ込みたくなりまして、思わず最後の節をぶち込んでしまいました。そう、幸せだったに決まってますからね。余計なひと言でした。(笑)

ただ、この「ミサ・ソレムニス」は最高の名演奏です。

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