
なぜに死を恐れることがあろうか。あのハイドンもプロコフィエフでさえも死んだのだ。
リヒテルの言葉である。こういう言葉を耳にすると、実は彼が一番死を恐れていたのではなかろか、そんなことを想像してしまう。否、恐れていたとは言葉が違うかも。畏れていたのである。天才と言えども、人は必ず死ぬ。この肉体がせいぜいもって100年だということは誰もが百も承知。しかし、(信じようが信じまいが)魂は永遠なのだ。
リヒテルの生み出す音楽は永遠だ。彼の演奏には死と同じく、生への謳歌が必ず存在する。そして、そこには底知れぬ愛がある。それゆえに、リヒテルの音楽は優しく、また厳しい。幻想的でありながら現実的なのだ。厳しさの中にあるヒューマニズムこそ、彼の音楽の原点だろう。
若きベートーヴェンの作品を奏でるとき、リヒテルは歌う。
生きることの喜びと楽しむことの情熱がある。そして何より、生かされていることの、神への感謝たる思念が見事に刻まれる。
リヒテルの演奏は、可憐だ。そして、彼の鳴らす音はとても自由だ。特に、ソナタホ長調作品14-1とソナタイ長調作品26が、前途洋々のベートーヴェンの希望を見つめるようで素晴らしい。
作品は私にかなりの収入をもたらし、こなしきれないほどの注文があると言ってよい。私はどの件にも6,7社と対しており、私が心にかけようとすればもっとだ、私は折り合いを付けさせられることなく、私が求めると支払われる、分かるかい?これは素晴らしい境遇だ。
(1801年6月29日付、ヴェーゲラー宛)
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P405
耳の疾患を友人に初めて告白した書簡には、このような言葉もあわせて残されている点が興味深い。少なくとも当時のベートーヴェンは、ピアノ音楽作曲家としての相当な自負があり、ともすると謙虚ささえ失うような状況に陥っていた可能性がある。その後の「遺書」での懊悩と、覚醒したかの感さえある数々の言を考えると、直前のこういった考え方そのものが彼の精神やその後の生き方に影響を与えただろうことは想像に容易い。
私の願いは、おまえたちには私よりも良い、心配のない人生となること。おまえたちの子供たちには徳を薦めよ、それだけが幸せにする、金ではない。私は経験から言うのだが、私自身を悲惨のなかで救ったのもこれであり、私は私の芸術とともにそれにも感謝している、私が自殺によって私の人生を終わらせなかったことを。
(ハイリゲンシュタットの遺書)
~同上書P505
紆余曲折を経て、子々孫々のことまで考えたベートーヴェン。結局のところ、大事なことは徳だと悟る彼の音楽が、リヒテルによって昇華され、僕たちの魂にまで迫る。