音楽の良し悪し、是非、というか素晴らしさを感得するにも、聴く人の心の器の大小が影響するように思う。要は、その人がどれだけ深く人生経験を積んできたかが作品や演奏の理解を左右するということだ。
これほど衝撃を受けた録音はない。
当時、高校1年生だった僕は、クラシック音楽については駆け出しの、何も知らない少年だった。ましてや社会経験もない、酸いも甘いも、人生とは何ぞやということを考えることもなかった。ただ、ベートーヴェンの交響曲が好きで、そして、当時人気の高かった老カール・ベームのおそらく最後の来日公演になるだろうという巷の憶測を信じ、テレビの前に陣取ってライヴだったか録画だったか、襟を正してその演奏に向き合っていた。しかし、このコンサートの、この演奏の素晴らしさは残念ながら当時の僕にはわからなかった。
ベートーヴェン:
・交響曲第2番ニ長調作品36
・交響曲第7番イ長調作品92
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1980.10.6Live)
杮落し間もない昭和女子大学人見記念講堂。
青春の第2番ニ長調作品36のあまりの美しさ。
僕の記憶では、鈍い(?)、牛歩の(?)、緊張感の薄い、弛緩した演奏だった。しかし、実際は違う。これほど緊張感高く、また重厚かつ精神性高く、音符の一つ一つに意味のある音楽が鳴らされていたとは驚きだ(この演奏の素晴らしさがわからなかったのは若気の至り!!)。第1楽章序奏アダージョ・モルト冒頭から「気」が違っていた。とても翌年の8月に亡くなってしまう人の演奏だとは思えぬただならぬ高揚感と生命力。続く第2楽章ラルゲットの爽やかな安寧。そして、確信に満ちるベートーヴェンの心を純化する第3楽章スケルツォを経て、終楽章アレグロ・モルトの堂々たる威容!!最晩年のベームの棒は(クレンペラーのそれと同様に)その動きとは裏腹に見事な閃光を放つ。終演後の猛烈な拍手喝采が、(たった1度だけ開催されたオーケストラ・コンサートに運良く居合わせることのできた)当日の聴衆の感動を物語る。
ウィーン・フィルのクラリネット奏者、エルンスト・オッテンザマーもこの日、「テンポは遅いが、手綱は緩んでいない」と感じていた。ライヴ録音がCD化されると告げたところ、「あれは老大家ベームのエネルギーが最後に激しく燃焼した瞬間だった」と、真剣な面持ちで懐かしんだ。
(池田卓生「今こそ真価を聴く~ベームとウィーン・フィル」)
~ALT065ライナーノーツ
後半の第7番イ長調作品92は、一層力の入った名演奏だ。第1楽章ポコ・ソステヌート―ヴィヴァーチェからテンポは堂々たるもの。そして、これほど思念のこもった演奏はかつて聴いたことがないと思わせる第2楽章アレグレットの感動。白眉は終楽章アレグロ・コン・ブリオ。てっきりインテンポで進み、弛緩すら感じられるだろうと想像していた音楽は、テンポの伸縮があり、同時にクレッシェンド、ディミヌエンドでは興奮を喚起され、底知れぬ高揚をもたらしてくれる音楽に、ようやく僕はカール・ベームの「意義」を悟った(同じく終演後の聴衆の歓呼のどよめきが半端でない)。
おじゃまします。このCDを聴いてみました。1楽章の階段的に上昇するところのテンポの遅さには意表を突かれましたが、これなりの味も感じました。一番感銘を受けたのは4楽章です。徐々に胸が高まり、これほど7番の終楽章にふさわしい4楽章の演奏は初めてではないかと思いました。これを生で聴いていた人々の感動と興奮はすごかっただろうなあ、と感じました。ウィーンフィルの音も素晴らしいと思いました。ありがとうございました。
>桜成 裕子 様
おっしゃるとおりですね!このコンサートを実演で聴いた人は本当に素晴らしい体験だったのだろうと想像します。羨ましい限りです。