メジューエワ ベートーヴェン ロンド・ア・カプリッチョト長調作品129「失われた小銭への怒り」

《銅貨を失くした憤慨》—ベートーヴェンのロンド(遺作)
このじょうだんより愉快なものは、なかなかあるものではない。さきごろ初めてひいてみた時には、初めから終りまで笑いがとまらなかった。ところが二度目にひき終ってから、内容の註を読んでおどろいた。この狂想曲は、ベートーヴェンの遺稿のなかに見つかったもので、手稿には《銅貨を失くした憤慨の腹癒せに作ったカプリッチオ》と題がついている。これは、いかにも愛すべき無力な憤慨で、ちょうど長靴が踵にひっかかったまま、持主が汗を流して、踏んだり叩いたりしているのに、一向平気で足にからみついている時の腹立ちのようなものだ。
(ロベルト・シューマン)
シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P91-92

ベートーヴェンの遺作ロンド「失われた小銭への怒り」。
初めて聴いたとき、何てふざけたタイトルだと思ったけれど、それはベートーヴェンが付けたものではなかった。作品番号は129だが、実際の作曲は1794年から95年にかけてとされる(ベートーヴェンの死後、遺品から自筆譜が見つかったもの)。
(実のところ、シューマンはこの小品を評価している)
(極論を言えば第九の「歓喜の歌」や「英雄」と同等に重みがある作品だというのである)
シューマンは言う。

いやしくも作曲家ならば、老若を問わず、このことから学ぶ必要があると思われることが一つある。それは一に自然、二に自然、三に自然! ということである。
~同上書P93

ウィーンにピアニストとして登場し、一世を風靡していた頃に作曲されたものだろうが、技術的に大層難しい部分もあるそうだ。実に可憐な、愉悦に満ちた音調にウキウキとした気持ちが醸成される(シューマンが論じるように、若きベートーヴェンの傑作のひとつだと僕は思う)。
巨匠の演奏として僕が座右の盤とするのが、一つアナトール・ウゴルスキ盤。
そして、もう一つがイリーナ・メジューエワ盤。
まったく性質の違う、いわば正反対の解釈だけれど、いずれもが僕の心の琴線に触れる。

ウゴルスキ ベートーヴェン 6つのバガテル作品126(1991.7録音)ほか ウゴルスキのベートーヴェン作品111(1992.1録音)ほかを聴いて思ふ ウゴルスキのベートーヴェン作品111(1992.1録音)ほかを聴いて思ふ

実演では十数年前にサントリーホールで聴いたイーヴォ・ポゴレリッチのものだ。

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

1828年1月9日 ディアベッリ社から出版告知。

・ベートーヴェン:ロンド・ア・カプリッチョト長調作品129「失われた小銭への怒り」(1794-95)
イリーナ・メジューエワ(ピアノ)(1998.3録音)

無為自然。
日本語をまるで母国語のように駆使するメジューエワは無為自然の人だと思う。
それは、彼女のピアノを聴けばわかる。
いつぞや実演に触れたときもそうだった。
すべてが偏りのない、中庸の、素敵な音楽たちだった。

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