パリ・コンサート

フランツ・リスト熱が治まらない。彼の人生をほんの少しずつたぐってゆくと、その波乱万丈さに度肝を抜かれると同時に、いささかも順風満帆でなく、常に山 あり谷ありだったことをうかがわせるところが人間っぽくって美しい。大ヴィルトゥオーソとして名を馳せた時代にしても、今でいうところのアイドル並みの生 活だったろうからそれはそれで大変だっただろうし、女性遍歴の問題、あるいは子どもや孫にまつわる問題も常につきまとい、そのあたりをクリアするのにも相 当な心労があったのではと想像がつく。ともかく若い頃からレナード・バーンスタイン同様酒とたばこが手放せず、最晩年に至っては毎日コニャック1,2本、 ワイン2,3本を軽く空けてしまうような生活だったらしいから、そのために心臓病や水腫を患い、それが死因につながったことは間違いない。余程繊細な人 だったのだろう・・・。

残念ながらこれまでリストの音楽を集中的に聴き込んだ時期はなかった。よって所有する音盤も限られている。本当はレスリー・ハワードによるピアノ作品全集(全 99枚!)などをじっくり聴き込んだら、大変な知識が身につくのだろうが、そこまでの気力もない。ただ、(手元にある)その内の何枚かを抜粋で聴いてみた ところで、ほぼ全部の作品が網羅されているという資料的価値は認められるものの、リストの真の音楽性まで体感できないというところがどうも歯がゆい。

だいぶ前、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」について、森鴎外の「即興詩人」をタイトルにいただいて記事を書いた。「ウィーン・コンサート」についても表現し切れない感動を書いた。たった今、後ろで鳴っている音楽は1988年の「パリ・コンサート」。本当に美しい。一夜限りの、そしてその場限りのパフォーマンスであるという事実が演奏に花を添える。

Keith Jarrett:Paris Concert(1988.10.17Live)

ショ パンやリストの霊が乗り移っているのではと思わせられるパリのサル・プレイエルでのコンサート。キースの相変わらずの唸りと雄叫び。フランツ・リスト同 様、若い頃から音楽という特別な世界の檜舞台に君臨し続けたキース・ジャレットも、我々一般聴衆が知る(想像する)以上に実はアップダウンの激しい人生 だったのではないのか。ピアノの音色に乗せられて喜びや哀しみが聴こえてくる。時に踊り狂い、時に深沈として・・・。その様はまるでひとりの人間の「生き 様」そのものであり、まさに現代のフランツ・リストその人だと表現してもいいほどでは・・・。

「パリ・コンサート」の真実が今日初めてわかった・・・。

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