リスト編、ベートーヴェンの交響曲

昨晩、人生初のフットサルを経験した。わずか2時間とはいえ5,6ゲームをこなしてみて、体力的に最初の5分で相当厳しかったものの、チームワークやコミュニケーションの重要性をより体感的に学べ、スポーツの意味が少しわかったことが何より良かった。なるほど企業が体育会系を欲しがる理由がよく理解できる。もちろん彼らが縦社会の中での生活をしてきたことから、仕事を進めていく上で常識やマナーを既に体得しているということもあろうが、何よりチームで成果を上げるための「コミュニケーション」が当たり前のようにできるということがその理由なのだろう。

特に、チーム・スポーツでは「コーリング」と「ヒヤリング」というようだ。互いに声を掛け合うことによりできるだけ大きな声で)、よりスムーズに連携がと れるようになる。個々の技術やスキルが多少劣っていたとしても、この連携がうまくゆくチームであるなら、勝機はある。そう、個人の力も重要だが、より一層 重要なのは点である各々が線でつながるようになるということのようだ。

40代も後半になって、こういう風にスポーツに関わるようになるとは夢にも思わなかったが、「人間力」のベースというものがこういうところからも学べることが体感的に(理屈ではわかっていたが)わかったことが収穫。

お陰で身体があちこち痛い(笑)。タグラグビーでもフットサルでも継続的にやっていけばそのうち身体も順応してくるだろう。しかし、体調はすこぶる良い。とにかく続けてみよう。

ところで、一日デスクワークをしながら、昨日の疲れを癒す意味でゆっくり音楽を聴いた。リスト編曲によるベートーヴェンの交響曲。実に久しぶりだったが、 さすがにここのところリストについて理解を深めているせいか、今まで以上に心に染み入る。結局、第4番と第5番を除く7曲を耳にした(第9番については ワーグナー編曲版もあるのでいずれ比較試聴してみたいと思う)。

ベートーヴェン:交響曲全集(リスト編曲)
シプリアン・カツァリス(ピアノ)

ベルリオーズの「幻想交響曲」は初演から出版までには10年近くの時間を要したようで、1835年頃にリストが独奏ピアノ用に編曲した版が、この曲を一般 的に認知させるための大きな役割を果たしたようだ。当時の大衆にとってピアノという楽器は最も手頃で、それゆえそのヴィルトゥオーソであったフランツ・リ ストは教師としても引く手数多だっただろうし、なによりピアニストとしての彼はほとんどアイドル的存在だったから、その彼が演奏すればどんな音楽も人々を 魅了するものになったのだろう。

当然ベートーヴェンの交響曲もそう。革新的なこの9つの作品を、クラシック音楽の中で今のような地位に位置づけられるようになったのもリストの編曲版があったお陰なのかもしれない。

それにしても1曲1曲が神々しい。原曲の素晴らしさは当然だが、まるでピアノ独奏用に作曲されたソナタのよう。

とはいえ、超絶技巧のカツァリス盤をもってしても、「即興性」という観点から見た場合どうだろう?果たしてこれがリストが求めた音楽なのか?あまりに真面 目で、真正面からの取り組み。これはこれで名演の名盤ではあるが、「もっと自由に!」とやっぱり叫びたくなる。ないものねだり・・・かな・・・。

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