アルバン・ベルク四重奏団 シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(1994.4Live)ほか

年齢を重ねてシューベルトの深淵にはまる。
わずか31歳で夭折した天才の、特に晩年の作品は底知れない。

シューベルトの後期は、急にはひらけない。階段を一段ずつ降りるように深まる世界だ。そこに高次の「完成」がひらける。その第一歩が、1824年の弦楽四重奏曲で印された。
前田昭雄著「カラー版作曲家の生涯 シューベルト」(新潮文庫)P112

前田昭雄さんの言葉に僕は膝を打つ。
1826年1月に最終形を獲得した弦楽四重奏曲ニ短調の求心的な厳しさと、得も言われぬ美しさにあらためて驚嘆する。この作品の持つ集中力たるや、その創造過程において彼はどれだけ命を縮めたことだろう。

エゴン・シーレの描いた「死と乙女」を想った。
無法の仰々しさというのか、けばけばしさの中にある死の持つ優しさと美。
100余年前、世界的に流行したスペイン風邪に罹患し、彼はわずか28歳で逝った。亡くなる際に、「私の絵は世界中の美術館で展示されるべきだ」と言ったそうだが、時代の先を行く天才は得てして早々と生を終えるものなのか。今一度転生し、再び世に貢献せよという神の恩寵なのかどうなのか。

死というものが単なる想念であることを思う。
そこには本来恐怖などない。生も死も現実的で、一本の線でつながった同質のものだ。だからこそそれを真に、また革新的に描く芸術は底知れず美しいのだと思う。
第1楽章アレグロの、陰陽相対の2つの主題を見事に統合する業は、まさに生と死の総合たるシューベルトの思念の総決算。アルバン・ベルク四重奏団の演奏は真に迫り、劇的であり、同時に美しい。歌曲「死と乙女」から旋律を借りた第2楽章変奏曲アンダンテ・コン・モートの、呼吸の深い、また息の長い、いかにもシューベルトらしい旋律を歌う様子は、生きることへの希望と憧れを映す。

シューベルト:
・弦楽四重奏曲第14番ニ短調D.810「死と乙女」(1826)(1994.4Live)
・弦楽四重奏曲第10番変ホ長調D.87(1813)(1997.4Live)
アルバン・ベルク四重奏団
ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
ゲルハルト・シュルツ(第2ヴァイオリン)
トーマス・カクシュカ(ヴィオラ)
ヴァレンティン・エルベン(チェロ)

いずれもウィーン・コンツェルトハウスでのライヴ録音。
弦楽四重奏曲変ホ長調が16歳のときの作品だとは驚きだ。第1楽章アレグロ・モデラートに現れる、大人びたどこか愁いを帯びた音調が、少年シューベルトの、心の傷を無理に隠そうとする思念が垣間見え、何だかとても切なくなる。激しくも短い第2楽章スケルツォ(プレスティッシモ)を経て、第3楽章アダージョの安寧は、(大袈裟だが)すでにベートーヴェンの後期の境地にあるようだ。

少年シューベルトは溢れる楽才に任せて、短期間で驚くほど多数の作品を書いていった。小遣いでは五線紙を買うにも到底まにあわず、親友のシュパウンから大量の五線紙をもらい受けたという。
~同上書P27

言葉で表しきれない才能の発露。シューベルトの音楽は永遠だ。
ちなみに彼が、1816年につけ始めた日記には次のようにある。

人類は信仰を携えてこの世にやって来た。信仰は知識や理解よりもはるか上位にある。それは、何かを理解するには、まずはじめにそれを信じなければならないからだ。理由とは信じたことを分析したものに過ぎない。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P80

すべての原点が「信」にある。
そのことが心から腑に落ちたとき、シューベルトの音楽は我がものになろう。
アルバン・ベルク四重奏団の生み出す音楽は、作曲家への揺るぎない「信」に満ちている。

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