シュナイダーハン フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲(1953.5.18Live)ほか

生きた作品は、思想や理論によって破壊されることがない。かといって、その生命が思想や理論によって守られるということもありえない。肝要なのは、火花が飛び移り、生きた音楽が生きた聴衆を見出すということである。そこでは、自己の過剰の知性による固定観念のなかに忌まわしく捕えられた現代に見られる、あの即座に準備され、いつでもすぐ仕上がる知ったかぶりなどは、まったく無視されるのである。
(1952年)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P65

表層的でない、嘘に塗り固められたものでない真実は、何者にも影響を受けない。まずは固定観念を捨てよとフルトヴェングラーは言う。そして、理屈ではなく、実践して、具体的に体験せよと言うのである。

アルフレッド・コルトーは、フルトヴェングラーは聴衆を意識していたのはなくあくまで音楽のことしか考えていなかったのだと言うのだが、フルトヴェングラーの真骨頂はライヴにあるのだとあらためて確認する。そこに聴衆がいて、相互のコミュニケーションが成されるがゆえの大いなる波動。
何もあえて比較することもないのだが、先に紹介したメニューインを独奏に迎え、ルツェルン祝祭管弦楽団と録音した演奏が静とするなら、シュナイダーハンとの実況録音(カデンツァはヨーゼフ・ヨアヒム作のもの)は、いかにもフルトヴェングラーらしい動の、それでいて踏み外しのない晩年の安定した様式がミックスされた名演奏である。音楽は冒頭から朗々と奏される。静かに叩かれるティンパニの4つの音が、楽中幾度も有機的に繰り返される様に、あの(何でもない)4つの音にこそベートーヴェンの「運命」たる思念が刻印されているのだろうと思う。

・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61(1953.5.18Live)
・ベートーヴェン:レオノーレ序曲第2番作品72(1949.10.18Live)
・ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲(1954.5.4Live)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

一層素晴らしいのは「レオノーレ」序曲第2番!!!
最晩年のウィーン・フィルとのもの以上に音楽は赤裸々で凄絶。
新たに歌劇「レオノーレ」(第1稿)をリリースしたルネ・ヤーコプスが語るように、序曲第2番がどれほどのパワーとエネルギーを秘めているかがわかるのは、真にフルトヴェングラーの実演によってのみ。何とドラマティックなのだろう。コーダに向けての猛烈なアッチェレランドが聴く者の魂を刺激するも、終結は一呼吸おいて堂々と締める様に天才を思う。

パリのオペラ座でのウェーバーの「オイリアンテ」序曲も実演ならではの生き生きとした名演奏(旅疲れかアンサンブルの乱れは散見されるが、僕は気にならない)。

人間、すべての人間の核心は、神、言うまでもなくさまざまなあり方をしている彼自身の神との宗教的なつながりにある。現代の文明人のみが方式から出発し、神なしの人生を理解する。それゆえ彼は方式の習得にかくも躍起となるのだ。いかに自分の生活が無内容で空虚なものとなっているかに、彼自身は気づいていない。
(1946年)
~同上書P53

現代の泥沼化の源は、人々が真の意味での信仰を失ったからに他ならない。
ハウツーにばかり目が行く僕たちの志向を、あるいは思考にフルトヴェングラーの音楽が警告を与えるのだ。音楽そのものに身を、そして心を任せよとフルトヴェングラーは言う。考えるのではなく、感じよと。

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6 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。ヴァイオリン協奏曲を聴きました。フルトヴェングラーとシュナイダーハンの録音があることは知っていましたが、聴くのは初めてです。メニューインとの録音のあとで聴くと、オーケストラがダイナミックで熱がこもっている感じがしました。やはり、ライブだからでしょうか、気心の通じたベルリンフィルだからでしょうか。伸び伸びしていて、主導権を取っていると感じました。初めて聴くシュナイダーハンのヴァイオリンは音が美しく澄んでいて、折り目正しくで清潔な印象です。それだからでしょうか。なんとなく、オーケストラの高まろうとする熱を、ヴァイオリンが冷ましているような気がするのを時々感じました。ベルリンの野趣にウィーンの優雅が載っている、というか・・・ 理屈で曇った耳で聴くからかもしれません。でも歴史的な名演奏を聴くことができ、ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

手兵ベルリン・フィルであり、ましてライヴ録音ですから、フルトヴェングラーの意気込みがそこそも違います。もう一種、戦時中のエーリヒ・レーンとの実況録音がありますので、そちらもぜひ聴いてみてください。鬼神乗り移る名演です。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=26285

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 聴いてみました。たいへんな名演と圧倒される思いです。まずエーリッヒ・レーンというヴァイオリニストの名前を今まで見たことも、人の口から聞いたこともありませんでした。伸びやかで美しく芯の通った音色が自在に天翔ける様相は、これぞヴァイオリン協奏曲の醍醐味、といった印象です。フーベルマンとかハイフェッツとか、怪物的にうまいと言われている(個人的な思い込みかもしれませんが)人たち級のレベルではないでしょうか。その上、堂々と威厳があり、かつブリリアントな1楽章、たっぷりと豊かに歌い上げる2楽章、軽やかで心湧き立つ3楽章、フルトヴェングラー・ベルリン響の演奏ともぴったりで、今まで聴いた中で最高級の演奏だと思いました。これが戦時中かと思うと、2度びっくりです。聴衆はひと時、天国的な感動の時間を過ごしたのでしょうか。愛国の心を奮い立たせ、戦時を生き抜く勇気を得たのでしょうか。
 ところで、ヨーロッパの昔の音楽会には、どうして咳をする人が多いのでしょうか(2楽章の白眉のフレーズをねらったかのような咳もあり)。石炭の煤煙のせいでしょうか。冬で風邪をひいている人が多かったのでしょうか。思わずぼやいてしまい、すみません。  このような演奏を聴かせていただき、ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

エーリヒ・レーンはベルリン・フィルの当時のコンサートマスターです。それゆえにフルトヴェングラーの解釈の隅から隅までわかっていたのでしょう、指揮者との以心伝心の様が素晴らしいと思います。

ところで、コンサート中の聴衆の咳の件ですが、「なるほど!」と膝を打ってしまいました!(笑)
そんなところに気がつくとはさすがです!!
どうなんでしょうね??あまり深く考えたことがないのですが、コンサート中のマナーの進化とでもいうのですかね?
今はコンサート前のカゲアナを聞いてもわかるように、コンサート中のマナーに関して少しうるさいくらいですよね。個々が過敏になっている傾向もあると思います。その点、昔は大らかだったのでしょう。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 ありがとうございました。なるほど、レーン氏はベルリンのコンサートマスターですか。一流オーケストラのコンサートマスターというものは、だれでもベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキー等の協奏曲が演奏できるものですか?
 ナチス政権下の音楽会は、やはりヒトラーの意向を汲んだ演奏会だったのでしょうか。そうだとすると、ユダヤ人作曲家の曲は演奏されなかったのでしょうか。ワーグナーが積極的に演奏されたことは知っているのですが、ベートーヴェンはどんな位置づけだったのでしょうか。あまりに無知ですみません。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

僕の印象では、コンサートマスターは大抵ソリストとしても一流の方が多いと思います。
あと、ナチス政権下ではユダヤ人作曲家の作品は基本採り上げられなかったようですね。ベートーヴェンは、ワーグナーが最も信奉していた作曲家ですから、ヒトラーも好んでいたと思います。

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